ヌマンタの書斎

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四角いジャングル 中城健

2011-06-21 12:03:00 | 

主人公が脇役に主役の座を奪われただけならともかく、その脇役の通訳に成り下がったのは空前絶後だと思う。

なんだって、そんな事態に陥ったかといえば、それは現実とフィクションとを無理やりリンクさせたからだ。リンクさせたのは、原作者の梶原一騎の意向であることは間違いない。

元々、この漫画が描かれた背景は、日本のプロ・キックボクシング界に、アメリカから黒船が来襲したことにある。特にマーシャルアーツ(軍隊闘技)出身のベニー・ユキーデは、日本のチャンピオンを含む上位選手を総なめにする実力をみせつけた。

当然に日本のキックボクシング界は、これを脅威と捉えたが、同時にこれはチャンスであった。空中2段蹴りの沢村選手の引退以降、人気低迷に喘いでいたが、これを契機に再び人気上昇を狙った。その一役を担ったのが、格闘技の興行に、いささかのかかわりを持つ原作者の梶原一騎であった。

表題の漫画も、当初は打塔xニー・ユキーデを目標に掲げた若手日本人選手の成長の物語であった。おそらく実在の青年をモデルにしていると思われる。ところが、この青年が挫折したらしい。

一方、当時興行界で絶大な人気を誇ったのがプロレスだった。とりわけアントニオ猪木の新日本プロレスは、最盛期を迎えつつあった。その猪木と極真空手が対立した。

ご存知、猪木vs熊殺しのウィリー・ウィリアムスである。極真とも関わりが深い梶原一騎は、このブームに便乗した。いや、煽動的役割をも担った。

おかげで、表題の漫画の主人公は、ウィリアムスの通訳に落ちぶれる有様だった。フィクションとノンフィクションとの融合といった形をとった先進的な漫画でもあったが、作品としては破綻している。

空手対プロレスといった分りやすい構図は、大ヒットとなり映画まで作られたが、あの猪木対ウィリアムスの試合の後味は悪く、むしろ胡散臭さが増してしまった。極真空手にとっても、プロレス界にとってもあまり良いことではなかった気がする。

私が残念に思うのは、日本のプロ・キックボクシング界が受けたダメージだ。実は1970年代後半は、藤原や島といった名選手が輩出された黄金時代であった。

事実、極真空手でさえ敗退したタイのムエタイにおいて、短期間ながらも藤原はチャンピオンとなったほどだ。なお、ムエタイをタイ式キックボクシングと訳すことがあるが、これは相撲を日本式レスリングと訳するようなもの。

ムエタイはムエタイ。おそらく立ち技では、世界最強の格闘技といってもいい。なにしろ競技人口が膨大で、ギャンブルの対象とされるがゆえに、おそろしく濃厚で強烈な格闘技と化している。

それゆえ、先陣をきった極真空手をはじめ、世界の打撃系格闘技の選手が、タイに赴いてムエタイにチャレンジすることが世界的な流行となったほどだ。

そのタイにおいて、外国人初のチャンピオンとなった藤原のことは、タイ全土を騒がす大事件であった。しかし、格闘技の世界に疎い日本のマスメディアは、ほとんど無視してしまった。

梶原が原作したこの漫画には、当然にこの快挙も描かれている。梶原本人は、この偉業の価値を当然に分っていたのだ。だが、多額の金が動き、世間の注目を集めるのはプロレス対空手であった。

それゆえに、日本のプロ・キックボクシング界の隆盛を願ったはずの、この漫画も路線変更を余儀なくされた。もし、当初のまま、キックボクシング漫画として続いていたのなら、この世間的に評価の低いキックボクシング界に大いに貢献したと思われる。

実際に、実力ある選手が輩出されていただけに、非常に残念に思う。藤原の偉業は、喩えていえば日本人ボクサーが、ニューヨークのマジソンスクエア・ガーデンで、アメリカ人のヘビー級チャンピオンを倒した程の価値があった。
それだけに残念でならない。

なお、漫画と現実の世界とを一致させるアイディアは、その後佐山サトルという天才的プロレスラーをタイガーマスクとしてデビューさせることで見事に完成された。もちろん、この影のプロデューサーは梶原一騎である。

既に故人ではあるが、なかなかに評価の難しい人物ですよ、梶原一騎はね。


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