沢登りという登山形態は日本独特のものだそうだ。
普通、山に登る場合尾根沿いに登るのが王道なのだが、緩やかな沢ならば沢沿いに登り詰めて、最後は急斜面をじくざぐに登る山道もある。ただ降雨量の多い日本だと、沢沿いの山道はどうしても崩落の可能性が高い。だったら沢を直接遡行すればいいじゃないか。
実際、高校生の頃に丹沢は塔ノ岳から下る際、豪雨のなかを沢沿いに無理やり降りたことがある。思い出すのは、やたらとツルツルと滑って、半ば泥だらけになって下着の中にまで泥が入り込んだことだ。雨のなか沢沿いに下る愚かしさは、しっかりと脳裏に刻まれたものだ。しかし、暑い夏場に沢を登っていくのは爽快だ。
高校を卒業して大学受験浪人中に、高校WV部のコーチだったA先輩に誘われて、山梨の沢を遡行したことがある。A先輩の車で青梅街道をクネクネと走り、山梨県側に入り小一時間ほどで目的の沢に辿り付いた。車を置いて地下足袋を履いた上に草鞋を履く。これが当時一番沢登りに向いたスタイルであった。
夏だったので冷たい沢水が気持ちよく、難所は巻いてすいすいと登り詰めた。藪漕ぎはせずに途中から稜線の道にトラバースして、そのまま稜線を下り車のところに戻るつもりであった。しかし、稜線を一本間違えたようで、見知らぬ場所に降りてしまった。
ただ幸い沢伝に歩道らしき山道があり、いったん休憩して二万五千図で現在地を確認したところ、稜線を巻くよりもそのまま青梅街道まで出て、歩いて車を置いた場所に行くのが近道だと分かった。
既に3時を過ぎていたので、コンロでお湯を沸かして甘味でも食べようかと思ったが、A先輩がさっさと行こうと急かす。リーダーの言なので、内心の不満を隠しつつ歩きだした。一時間もかからずに車の場所に戻ったのだが、A先輩の様子が変だった。
車のトランクに荷物を入れ、着替えているとA先輩がなにやら両手を合わせてお祈りをしているではないか。同行したTと顔を合わせて、何だろと不審に思っていたら、A先輩に「おい、お前らもお祈りをしておけ」と命じられた。
何じゃらほいと思ったが、まぁ体育会系の本能で先輩の言う事は絶対だと思って従う。ところで、どこに向かってお祈りをしたらよいのか分からない。とにかくA先輩の真似をして、取り敢えずお祈りのポーズをした。
そのあと皆で車に乗ってA先輩の運転で帰京するのだが、あの狭くてクネクネした道を飛ばす飛ばす。まるで何かに追い掛けられているのかと思ったが、A先輩の真剣な様子に黙り込まざるを得なかった。
まだ日が沈まぬうちに都内に入り、そこでようやくファミレスに車を止めて空腹を満たすことになった。少し早めの夕食を食べ、ドリンクバーで珈琲を入れて席に戻ると、A先輩が「お前たち、何も感じなかったのか?」と呆れ気味で問われた。
なにせお化けレーダー未搭載の私とTである。なんのこっちゃいと思ったが、A先輩は真剣だった。なんでも稜線から見知らぬ沢沿いの小道に降りた時、異様なほどの寒気を感じたそうだ。その寒気はしばらく続き、車を運転している時でさえも感じられ、都内に入った頃にようやく落ち着いたという。
私もTもお化け音痴というか霊感皆無なので、さっぱり分からなかった。ただ、こんな時に茶化したり、笑い話で誤魔化すべきではないことぐらいは知っていた。「先輩は感性が鋭いのですねェ」と返して、話題を切り替えようとしたことだけは覚えている。
あれから30年以上経ったが、最近になってようやく原因が分かった気がする。
日本にあるオカルトスポットとして有名な場所の一つに「おいらん橋」がある。その名前を聞いた時、私はてっきり関西の方かと思ったが、実は山梨県であった。なんでも金山で有名な武田の領地で、その金山の在りかを隠すため、橋の上で女性たちを踊らせて、観客もろともその橋を切り落として殺した場所らしい。
よくよく調べてみたら、私たちが沢登りをした後、下った場所の沢の近くではないか。霊感の強い人は近寄るのさえ嫌がる怖い場所だそうだ。
全然気がつかなかった・・・ただ、改めて思い返してみると、あのあたり虫の気配がしなかった。あの時期だと蝉の声がうるさいほどが普通なのだが、何故だかあのあたりは静かだったように思う。
ちなみに青梅街道は旧道として閉鎖され、今は直線の多い走りやすい道となっているので、わざわざ旧道を行くことは今後ないと思います。別に今更興味がある訳ではないのですが、なんか思い出してしまったもので書いた次第。
花魁渕ですね。。。
数年前、柳沢峠から黒川鶏冠山と黒川金山跡を経由して青梅街道に出て、丹波山村まで歩いたことがありまして、、、
その時、花魁渕に立ち寄って見ようかと一瞬思いながら、時間の関係で止めたのですが、止めておいてよかったみたいですね。
黒川金山跡はすっかり荒れ果てていましたが、沢筋の苔が見事だった記憶があります。