考えたくないことは、記憶の奥底に沈めてしまうことがある。
だから完全に忘れていた。先日、フランス映画音楽の巨匠であるミシェル・ルグラン氏の訃報を耳にして、それが記憶の奥底から浮かび上がってきた。
中学生の頃に手ひどい失恋をして、いささか女性不信の気があった私を癒してくれたのは、高校一年のクラスで隣の席であったY子であった。楚々とした風情の女性であったが、割と自分の意見をしっかり述べる娘で、それが気持ち良かった。
授業をさぼってばかりいる私が成績の良いことを、よく訝っていた。私は予習中心の勉強をしていて、授業には2週間は先行して予習していたから、授業は復習に過ぎなかった。ただ、授業の内容を確認したかったので、さぼった授業についてY子にノートをみせてもらっていた。
そのお礼に、宿題の部分を教えてあげていた。放課後の教室で、たわいない雑談を交わしながら、ノートを見せ合う程度の仲であったと思う。でも、なんとなく彼女の好意は感じていた。
校内マラソン大会の時、路上を走る私に声援をくれたのは、多分Y子だったと思う。文化祭で彼女の所属するクラブのイベントに誘ってくれたりしてくれた事もあった。
ただ、あの頃私は女性に対して引き気味であったので、冷静に距離を保っていた。だから三学期の終業式の時、不在に訝っていたら担任から、彼女は両親の都合でフランスに旅立ったと聞いた時は、文字通り呆然としてしまった。
その前の週の最後の授業の後、Y子がいつも使っていたシャープペンをはにかみながら、「いつも勉強を教えてくれてありがとう」と言い添えて渡してくれた時、あたふたしたことを思い出した。なぜ、あの時理由を聞かなかったのか。
いや、それ以前、三学期時々寂しそうな表情を見せることに気が付いていながら、なにも尋ねなかった己の愚鈍さが恨めしい。あの終業式の日、私は記憶が途絶している。気が付いたら帰宅して、ベッドに潜り込んでいた。
泣いてはいないと思うが、心が麻痺して何も考えられなかったことだけは覚えている。そうだったのか、あの日から私はフランス音楽を聴かなくなっていたのか。
今にしてようやく思い至った次第である。あの時まで、私はけっこうフランス音楽を聴いていた。ポルナレフやアズナブール、ピアフ、ベコーなどの他、フランス映画の音楽も好きだった。
そういえばY子と話した話題の一つに、日曜日の夜にTVで放送された「シュルブールの雨傘」というフランス映画があった。小雨降るなか、カラフルな傘が舞う場面のことを話した覚えがある。あの映画に楽曲を提供していたのがミシェル・ルグランであった。
聴けばY子の事を思い出す、だから聴きたくなくなったのか。
なにかをして失敗したのならば諦めることも出来る。でも、なにもしなかったが故の後悔は、思い出すには辛すぎる。だから心の奥底に沈めてしまった。己の未熟さ、愚かさは、やはり苦い思い出である。
でも、ルグラン氏の楽曲に罪がある訳でなく、私の八つ当たりである。本当に素敵な曲ばかりなんですけどね。そのルグラン氏が亡くなったという。CDでも探してみましょうかね。