ヌマンタの書斎

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LIVE!オデッセイ 谷口ジロー

2017-02-17 14:33:00 | 

また一人、偉大な才能がこの世から姿を消した。

決してメジャーな漫画家ではなかったと思う。世間の耳目を集めたのは、晩年になってからだ。理由はいろいろあると思うが、その画風は古典的であり、漫画というには明るさに欠け、劇画というには泥臭過ぎた。

私は一時期、文学作品の挿絵にしたら一級品となると考えていた。そのくらい、その画風には重みがあった。しかし、漫画家が表紙のデザインをすることも珍しくなくない今と、当時は事情が異なった。

谷口ジローの画風には、ある種の泥臭さがある。だからこそ、野生を描かせたらリアリティ溢れる画風となった。また、その泥臭さは人間の暗い面、しぶとさなどを表現しており、それこそが純文学の表現者たり得ると判じた根拠であった。

そう思っていた漫画編集者は少なくないはずだ。それがその後の活躍につながる。しかし、不遇の時代はけっこう長かった。その最大の理由は、彼がマイナーな雑誌で連載していたからだと私は考えている。

漫画ゴラクを筆頭に、漫画パンチ、漫画ギャング、そしてエロトピアといった大人向けの漫画雑誌であり、深夜営業のラーメン屋や、工事現場の簡易事務所の畳の上に無造作に置かれているような雑誌ばかりである。

掲載雑誌が品のイイ大手出版社のお偉方から見下されるようなところばかりであったことが、彼の不遇な境遇からの脱出を難しくしたのではないか。私はそう疑っていた。

そんな谷口ジローのターニングポイントとなったのは、週刊平凡パンチという青少年向けの雑誌に連載された表題の作品ではないかと思う。週刊プレイボール誌のライバルとされ平凡パンチではあるが、正直大きく負け越しており、そのためか奇策に打って出ることが多かった。

谷口ジローの採用も、その戦略からのものだと私は睨んでいる。インディー・ロックバンドとして短期間に人気が出たものの、ボーカルのオデッセイの逃亡により、消えてしまったバンド。

そのボーカルがアメリカから帰国して、迷いながらも再びステージに立つことを決断する。それを複雑な想いで見守り、付いていくかつての仲間たち。ロックという音楽の漫画化は、先駆者として水野英子の「ファイヤー」があるきりで、当時は難しい分野であった。

泥臭い谷口の絵柄からは、汗を飛ばしながらステージ上でシャウトするオデッセイの迫力が繰り出されてきて、ロックンロールを見事に画像化することに成功している。この漫画以降、インディーズロック・バンドのブームが来たのは偶然であろうが、たしかに時代の先駆者たる作品であったと思う。

敢えて成功者の少ない難しい分野に挑んだ谷口ジローの心意気や良し。掲載誌が平凡パンチであったため、ビックヒットとはならなかった。しかし、その才能は眼力ある漫画編集者の目に留まり、その後大手漫画雑誌への連載につながった。

やがて「坊ちゃんの時代」「孤独のグルメ」などのヒット作を世に出した頃には、既に谷口は老齢であり、味のある画風に昇華していき、フランスなどでは高く評価されている。

その谷口の訃報が伝えられたのは先週のことだ。偉大な才能がまた一人、消え去ってしまった。謹んでご冥福をお祈りいたします。

コメント (1)
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