徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ハト対策に鷹が活躍

2020-01-15 19:05:55 | 熊本
 かつて僕が勤務していたブリヂストン熊本工場では、工場内に迷い込んでくるハトを追い払うため、鷹を使っているらしい。もう20年以上も前になるが、僕が勤務していた頃もハトが製品倉庫などに迷い込んできて、出荷前の製品に羽根やフンが落ちるのが悩みの種だった。そのため侵入防止の網を張ったりもしていたが万全ではなかった。その後もいろんな対策を打って来たらしいが、2年ほど前から始めたのがハトの天敵である鷹による追い払い。かなりの効果があるそうだ。
 それよりこの美しい鷹匠さんが気になる。



渥美清&山田洋次ドラマ「放蕩一代息子」

2020-01-14 18:43:44 | ドラマ
 「キカクブ日誌」さんが先般ブログで紹介されていた渥美清主演「放蕩一代息子」をYouTubeでじっくり見た。1973年にTBSの「日曜劇場」で放送されたもので、落語の「よかちょろ」などをもとに「男はつらいよ」シリーズの山田洋次による作・脚本のドラマだという。見ていると渥美清が稀代の名優であったことがあらためてよくわかる。脇役も志村喬、西村晃、倍賞千恵子、奈良岡朋子など名優揃い。冒頭の吉原遊郭のシーンで渥美清らが踊る「かっぽれ」や主人公の放蕩を象徴する「さわぎ唄」の音色が印象的だ。
 現在、「男はつらいよ」の最新作が公開中だが、見に行くかどうかまだ迷っている。


<あらすじ>
 両替屋の一人息子、徳三郎は札つきの放蕩児で、父、清兵衛は心を鬼にして勘当した。知り合いの棟梁の家に居候しながら奉公に出るが、どれも長続きしない。そのうちに徳三郎の行方はわからなくなり、気落ちした清兵衛は病に伏す。ある日、妹せつは乞食仲間と楽しそうに暮らしている徳三郎を見つける。家に呼び戻そうとするが、徳三郎は同じ乞食のおしんと貧しいながらも幸福に暮らしていた。そのおしんが死んだ後、徳三郎は再び姿を消す。清兵衛の臨終時に、ボロボロになった徳三郎が現れ、後を追うように息を引き取る。

阿国歌舞伎の番組

2020-01-13 21:18:52 | 歴史
 慶長15年(1610)春、加藤清正に招かれて熊本へやってきた阿国歌舞伎。塩屋町三丁目(現中央区新町2丁目)の武者溜りに小屋掛けした阿国歌舞伎は、詰めかけた城下町の人々にどんな芸能を見せたのだろうか。唯一の手がかりとなる「續撰清正記」(清正死後50数年後に書かれた)には、番組等は一切書かれていない。
 阿国歌舞伎は、様々な文献によれば、大別すると「ややこ踊り」「念仏踊り」「かぶき踊り」の三つに分類できるようだ。「ややこ踊り」は初期の演目で若い女性による舞踊。狂言小舞などの中世芸能をもとにしたとみられ、「小原木踊り」や「七つ子」などを演じていたと推測される。「念仏踊り」も初期の頃からやっていた演目で、首から提げた鉦を叩きながら念仏を唱え踊る。もともとは仏教の行を芸能化したもの。「かぶき踊り」はまさに阿国が今日の歌舞伎の祖たる所以となった芸能。阿国が男装した「傾奇者」が茶屋に遊びに行くという寸劇。それを迎える「茶屋のおかか」は男性が演じ、性が倒錯した不思議な世界が展開するというもの。
 それぞれの演目の詞章を下記してみた。

塩屋町三丁目の武者溜りではこんな風景が展開したであろう

四条河原遊楽図屏風(一部)より

 侍たちは銀子1枚を出して桟敷で見物し、町人たちは八木(米)を見物料として出し、鼠戸口より入って芝居(舞台と貴賓席との間の芝生席)でこれを見た。歌舞伎の祖、阿国を見んものと集まった貴賎上下の老若男女、鼠戸の前に市をなし、押し合いながら見物したという。(「續撰清正記」より)

▼ややこ踊り




▼念仏踊り


▼かぶき踊り(茶屋遊び)


   ◇阿国歌舞伎の面影を色濃く残すといわれる綾子舞(新潟県柏崎市)



   ◇阿国歌舞伎のもとになった狂言小謡の「七つ子」を長唄にアレンジした「歌舞伎踊」

パソコン歴40年

2020-01-12 20:10:36 | 
 今年でパソコン歴40年となる。1978年末に東京本社勤務となり、翌年から社内のパソコン講習を受けていたが、1980年になるといよいよ、社内でOA(オフィス・オートメーション)化が始まり、業務でコンピュータを使わざるを得なくなった。当初のパソコンを使う方法は「BASIC言語」を使うプログラミングだった。ビジネス用の新しいパソコンが事務所にどんどん入り始めた。富士通やNECのパソコンが入って来たが、それらにはEPOCファミリーやLANシリーズなどの業務用ソフトがついており、それまでのプログラム開発から解放された。会社業務とは別に、個人的にパソコンを使い始めたのは1983年、NECのPC8000シリーズの、後に歴史的な名機となったPC9800からである。パソコンは日進月歩を続け、40年前には想像もしなかったような世界が広がっている。今年から小学校ではプログラミング教育が導入されるらしい。僕らがパソコンを習い始めた頃のプログラミングとはどう違うのだろう。

オールドムービーのはなし。

2020-01-11 22:45:24 | 映画
 このブログを訪問していただいた方のなかに気になる名前のブログがあったので覗いてみた。「ミューズの声聞こゆ」さんというブログだった。記事の中にハリウッドの往年の人気女優エリノア・パーカーと、映画衣裳デザイナーの第一人者だったイーディス・ヘッドについて書かれた記事があった。どちらも故人だが懐かしい名前だ。その中にエリノア・パーカーが主演した1954年のパニック映画「黒い絨毯」のことが紹介されていた。この映画は僕が小学校低学年の頃、見て衝撃を受けた思い出の映画。ブログを始めて15年以上経つが、個人のブログでこの映画のことが書いてあるのを見たのは初めてだったので妙に嬉しかった。エリノア・パーカーの相手役を務めたのが、当時、新進気鋭の若手俳優だったチャールトン・ヘストン。「十戒」でモーゼ役を演じ、大スターの仲間入りをするのはその2年後のこと。エリノア・パーカーは「探偵物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」など多くの名作・大作に出演し美人女優の誉れ高かった。

◇黒い絨毯(1954)
南米アマゾン川上流のジャングルを開拓したココア農園が「マラブンタ」と呼ばれる兵隊蟻の大群に襲われる。「地球最後の日」などで知られるジョージ・パルがバイロン・ハスキンと組んで作ったSFパニック映画。CGがまだ無かった時代に、兵隊蟻の恐怖をリアルに描いた特撮技術は素晴らしい。ちなみに邦題の「黒い絨氈」とは、黒い絨氈を敷き詰めたように蟻の大群が地面を覆い尽くすという意味。


エリノア・パーカーとチャールトン・ヘストン

くまモン10周年!

2020-01-08 19:20:48 | 熊本
 くまモンが登場して3月で10年になる。2011年春の九州新幹線全線開業に向けて「新幹線くまもと創りプロジェクト」を推進する一環として、熊本出身の小山薫堂さん(映画「おくりびと」の脚本家)をアドバイザーとして迎え、その小山さんが提案した「くまもとサプライズ」が始まり、ロゴマークとキャラクターの「くまモン」が合わせて発表されたのが2010年の3月。振り返れば、この10年は熊本にとっていろんな意味でサプライズの連続だった。新幹線開業の前日に発生した東日本大震災。予定されていた開業記念のイベントはすべて中止あるいは延期に。さらに、それから1年ほど続いたイベント等の自粛。前途多難を覚悟させる船出だった。その一方で、「くまもとサプライズ」のキャラクターとして創造された「くまモン」が予想外の大ヒット、今や世界的にも有名なキャラクターとなった。そして観光振興などにも徐々にキャンペーンの効果が表れ始めた矢先の熊本地震。ある意味、最大のサプライズだったかもしれない。しかし、熊本はめげない。復興への長い長い道のりを歩み始めた。そして何年後か復興が成った時、真のサプライズが実現するだろう。



▼思い出のくまモン写真

2011.10.1 熊本城竹の丸 秋のくまもとお城まつり くまモン生みの親・小山薫堂さんとくまモン


2011.11.12 熊本県立劇場 平成夢座創立20周年記念 子どもと大人の和洋音楽祭 ザ・わらべとくまモン


2013.6.14 熊本県民総合運動公園陸上競技場 平成25年度全国高校総体南九州大会 表彰式にくまモン登場



2011.2.19 大阪ミナミ・湊町リバープレイス 「くまもと逸品縁日&ミナミあっちこっちラリー」

花畑広場の愛称

2020-01-07 21:58:21 | 熊本
 再開発が進む熊本市の桜町・花畑地区の仮称「花畑広場」と周辺にある花畑公園や辛島公園、それにシンボルプロムナードを含んだエリア一帯について、熊本市は愛称をつけることにし、その候補を4つの案に絞り、市民からの投票で決定することになったそうだ。
 その愛称の候補は「花畑広場」、「サクラノテラス」、「くまダタミ」、「キャッスルモール」の4案。熊本市は来月、ホームページと各区役所など市の施設で市民からの投票を募り、5月ごろ、愛称を正式に決定するという。
 今日、NHKが花畑広場周辺で50人にアンケートを取ったところ、
 花畑広場:17
 サクラノテラス:24
 くまダタミ:6
 キャッスルモール:3
という結果になったそうだ。
 個人的には、そのまま「花畑広場」でいいと思うが、さてどうなることやら。なお、エリアの完成は2021年秋の予定。




完成予想図

上海の芥川龍之介 と ザ・わらべ

2020-01-06 22:00:39 | テレビ
 年末年始に見た数多くのテレビ番組の中で、印象深い一本が「ストレンジャー ~上海の芥川龍之介~(NHK)」だ。芥川龍之介の「上海游記」をもとに渡辺あやが創作したドラマ。渡辺あやのNHKドラマは6年前の「ロング・グッドバイ」以来。なぜか怪作が続いている。今回の「ストレンジャー」は、大正10年(1921)、中国上海に新聞社特派員として渡った芥川龍之介の目を通して、清朝崩壊後の中国社会の混乱が描かれ、それが彼自身の心身に少なからぬ影響を与え、6年後の自殺へとつながった可能性すら感じさせる。原作にはないフィクションが加えられているのだが、あの紀行文からよくこんな凄いドラマができるものだと、渡辺あやの創作力にあらためて感心した。



 ドラマを見ながら、どうしても思い出してしまう映像があった。今から8年前、熊本県、熊本市、熊本大学が上海に共同開設した「熊本上海事務所」の開所式が行われ、熊本県知事、熊本市長、熊本大学学長を始め、県の経済界からも多数が出席した。夜に行われたレセプションでは、熊本の伝統芸能を代表して少女舞踊団ザ・わらべが出演、華麗な舞を披露した。ところが、文化が違うのか、進行がまずいのか、出席者は熱演する少女たちを無視、ワイワイガヤガヤが止まらず、舞台が台無しになったのである。それにもめげず踊り切った彼女たちを褒めるしかないが、上海と聞くとついこの出来事を思い出してしまうのである。


2012年1月 中国・上海市「熊本上海事務所 開所式」

松囃子と新春コンサートと

2020-01-05 20:02:39 | 音楽芸能
 今日はわが家の氏神である藤崎八旛宮へ初詣。ちょうど今日5日は松囃子祭が行われる日。喜多流と金春流による舞囃子を観る。正月の能舞もまた佳き哉。




 鶴屋百貨店に寄って、サテライトスタジオの新春コンサートを観る。小路永さんのFBに案内があったイベント。ピアノ、クラリネット、フルート、コントラバスに筝が二面という構成。ポップスを中心に楽しいコンサートだった。


浜出 ~大江幸若舞~

2020-01-04 19:05:19 | 伝統芸能
 間もなく年に一度の「大江幸若舞」の日(1月20日)がやって来る。毎年行きたい行きたいと思いながら、もう5年が過ぎてしまった。
 下の写真は2015年に行った時のもので、小学生による幸若舞「浜出(はまいで)」の一場面である。たしか大江地区の男子小学生は、4年生になると皆、幸若舞を習うと聞いた。この写真に写る生徒たちは小学5年生だが、現在では高校生になっているはずだ。はたして幸若舞を続けてくれているだろうか。福岡県みやま市瀬高町大江に日本で唯一残る幸若舞という伝統芸能が次世代、次々世代へと伝承されていってほしいと願うばかりだ。


▼浜出
 左衛門司という官職に任ぜられた梶原源太が、鎌倉で祝宴をはり、浜に出て船上に舞台を設けて歓を尽くすという舞曲。

春の水湧く水前寺

2020-01-01 17:21:25 | 熊本
 明けましておめでとうございます
 本年もどうぞよろしくお願いいたします

 水前寺成趣園での舞初めを観に行きました。
 真っ青に晴れ渡った元日は何年ぶりでしょうか。今年の行く末を表す天気であれば良いのですが。
 出水神社の参拝者の余りの多さに今日は参拝をあきらめて帰りました。

しめ縄や春の水湧く水前寺(夏目漱石・明治30年頃)


出水神社の参拝客が長蛇の列


舞初めで寿ぎの舞を披露した花童