徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

清正公の修羅道

2020-01-18 20:18:59 | 歴史
 家族に付き添い、7、8年ぶりに国立病院熊本を訪れた。待機時間を利用して現在駐車場となっている一帯を久しぶりに歩いてみた。病院正面に向かって右側の小高い丘に看護学校が建っている。ここに看護学校が建設される前、遺跡発掘が行われたが、一度現場を見学に来たことがある。この発掘現場から加藤清正による熊本城築城時、石材などを運んだとみられる修羅道が発見された。現在病院が立つ高台の下をかつて白川が流れており、浸食崖が形成されていた。白川の舟運を利用して運ばれてきた建設資材は、この辺りのどこかで陸揚げされ、浸食崖を切り開いて修羅道が造られたとみられる。牛馬あるいは人力で修羅道に乗った石材等は一路茶臼山に向かって運ばれたのだろう。そんな昔に思いを馳せながらしばらく散策した。


清正の熊本城築城当時、現在の桜の馬場は白川が流れており、舟運により建設資材を運んだ。


この看護学校の辺りを、材木や石を運搬する修羅道が通っていた。


看護学校建設前、くっきりと残る修羅道の跡。写真の下側


熊本城築城前、白川は大蛇行しており、近津(熊本市西区)辺りの石切場から切り出した石材を、
海から白川を遡上して水上運搬し、今の熊本城竹の丸辺りで荷揚げ、茶臼山へ修羅で引き上げたの
ではないか。(富田紘一氏談)



香川県小豆島土庄町に再現された、大坂城築城時、清正らが石を切出し運搬した修羅