地元紙の「介護の日」(11月11日)特集広告用に、プロの先生からまた新作イラストを描いていただきました。
毎回誰かしら登場するこの5人は友人関係ではなく、当法人の施設職員という設定です。
「ハモンド・ソング」は、ニュージャージー出身の三姉妹ザ・ローチェスのファースト・アルバム(1979年発表)に収録されている。
アルバムのプロデュースはキング・クリムゾンのロバート・フリップだが、全編アコースティック・ギター中心の、素朴なフォーク調の作品だ。
唯一、「ハモンド・ソング」では名手フリップがギターソロを弾いていて、本当に美しい名曲となっている。
ザ・ローチェスを知らなかった僕は、20歳のころに友達から教わった。
いい曲でしょ、と言うのでそうだね、と答えると、彼女はその場で歌詞を訳してみせた。
やっぱり都会の女のコはセンスが違うな、と内心ひどく感心したのだが、その後、自分が敬愛してやまないテリー・ホールが1985年にカバーして、二度驚いた。
久しぶりに僕も訳してみる。
ハモンド・ソング
あなたがもしハモンドへ行ったら
二度と戻ってこないでしょうよ
私が思うに
あなた間違ってる
もちろん私たちはあなたが大好きだけど
それとこれとは別
あのひとと行くつもりなら
私たちのことは忘れて
私が思う限りだと
あなたまるで
自分自身を放り投げているみたい
トライしようともせずに
ねえ、あなた嘘ついてるでしょ?
そう、私もハモンドへ行ったことがある
好き勝手にね
私だけじゃないの
この病にかかっちゃうのは
現実を直視してよ
見栄を張っている自分を
私たちはバラバラになってしまう
学校を辞めたりしなければ
うまく行っていたろうに
馬鹿な真似はやめてよ
私のこの歌を
分かってもらえるかな
いつか将来
また私たちは会えるっていうけど
いつか将来ってどこ?
大丈夫って私に言ってくれない?
あなたがもしハモンドへ行ったら
二度と戻ってこないでしょうよ
所作はきれいに、ルールに則って、は僕がいつも心がけていることだ。
清々しいくらい、お手上げだ。
こちらもひどいな~。
オンライン万歳という方法があるとは。
令夫人もなかなかお上手ですが、、。
とてもきれいな絵ですね。
小さい方の中には、異常に動作が大きい方が時々見受けられる。
グループホームポラーノの芋煮会に参加しました。
美味しそうですね。
ぽらんデイサービスの記念樹を思い切って剪定してみました。
サトザクラという八重桜の一種です。
またまた切り過ぎてしまい、毛刈りした羊のようになってしまいました。
↓
ニューフェイスが二台、やってきました。
シルバーのタントと、もう一台はWill Vi。
シンデレラのかぼちゃの馬車をイメージした、トヨタのコンセプトカーでした。
翌年のTは登板するたび初回から打ち込まれることが続き、シーズン終了後には戦力外通告を受けた。
ただ、彼の実直な人柄を惜しんだ二軍監督の口利きで、Tは球団職員としてホエールズに残れることになった。
彼は懸命に働いた。
当時まだ手書きだったスコアボードの点数板を掛け替えたり、イベントでぬいぐるみの中に入ったり、選手用のマイクロバスの運転手も進んで務めた。
そうこうしているうちにTはスコアラーとして連日一軍ベンチ入りするようになり、歴代の監督やヘッドコーチから重用された。
さらに時は流れ、球団は大洋ホエールズから横浜ベイスターズに衣替えし、本拠地も川崎から横浜に移転したが、Tは相変わらず誠実に仕事を続け、やがて球団グッズの企画販売を行なう子会社の社長に登りつめた。
それを機に、彼は郷里けせもい市から老母を呼び寄せて横浜球場近くに購入したマンションへ住まわせた。
また、彼は自分と同じように大成しなかった元選手たちへの再就職のあっせんなど、親身で組織的な支援を早くから提唱し、球界きっての人格者との尊敬も集めていた。
ある日ふとTは、秘書が中身を補充してくれた名刺入れから、一枚自分の名刺を取り出して見つめた。
球団のロゴと、代表取締役社長の肩書きがくっきりと印刷されている。
なんという不思議な、遅咲きの人生だろう。
あの対談がなければ、あの名刺の一件がなければ、東北の片田舎からスパイクとグローブを包んだ風呂敷一つで都会に出てきたオレの人生は、きっと始まりもせずに終わっていたに違いない。
彼は目を閉じるとあの美しい歌手の面影を胸に思い浮かべ、頭を垂れた。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。