甲斐バンドのアルバム「誘惑」の中から「カーテン」を流されたあと
「『二人きりのステキな夜』です」と田家さん
「アルバム『この夜にさよなら』の中には『そばかすの天使』という曲がありまして
(歌詞に登場する主人公は)夜の街の女の子なんですね
どこかネオンの陰に咲いてる花というイメージがあって
MVは、歌舞伎町のゴールデン街が舞台だったりもしてました
当時の中島みゆきさんに通じるような曲で…」とおっしゃってましたが
「そばかすの天使」は、甲斐さんが夜の新宿に足繁く通っていらした頃(笑)
「ちょっとうらぶれた酒場で、10代の女の子が1人で酒を飲んでたりするシーンが浮かん」で
明け方に佐藤剛さんとタクシーに乗り込まれた途端「10分くらいで」誕生した曲だそうです
唯一、お悩みになったのは「彼女の年」らしく
「この時代はね、やっぱり酒場に1人で来たりする女の子は
いくら若くても、18歳っていうのが相場だったんだよね
だけど、俺は、あと1年もすれば、不良少女の年齢低下があり得るだろうと思った
俺の希望的予測というか、時代への一つのアピールも含めて、彼女は16歳になった訳さ
それに、北原ミレイが『ざんげの値打ちもない』っていうヒット曲、飛ばしたじゃない
18歳の少女の有り様、彼女が過去に出しちゃってるんでね
少女を描くなら、同じじゃツマンナイっていうこともあったんだよね
この曲も入ってるLP『この夜にさよなら』は
俺たちが『今まである既成の価値、ぶっ壊してくぞ!』って息せききってた時期だから
この少女は『次の時代』へ向かう、甲斐バンドの一つの象徴でもあったんだ
LP自体、俺の背負って来た時代の重み、痛みをバネにして
新しく来る時代へ跳ねて行こうっていうコンセプトだった訳だから」と話されてました
ちなみに…前述の「MV」というのは、東京12チャンネル(当時)で
1週間だけ放映された、2分30秒のイメージスポットのことみたいで
甲斐バンドのライブ映像に、甲斐さんのコメントが重なったり
夜明けのゴールデン街を歩く甲斐さんが映ったりしていたそうですが
ビデオがない時代の地方在住の少女には「縁のない映像だった」んだとか…(苦笑)
それはさておき…
「アルバム『誘惑』は、それまでの、光と影の影の部分が見えるような恋の歌から
色っぽい大人の恋愛を感じさせる歌までが入ってますけど
この曲(カーテン)は、後者の代表的な1曲ですね
街角の恋愛から、インドアな恋愛という変化も感じられたり…
これも改めて聴いていると、歌のテーマだけでなく
『自分たちの音楽も新しくなったんだよ、カーテンを開けて、さあおいで』という
新しい音楽への誘いの歌にも聞こえました
『そばかすの天使』もシングルになって
『氷のくちびる』もシングルになったんですけど、あまりヒットはしなかった
オリコンは、100位までの中で、下の方に入っただけですが
(この2曲が収録された)アルバム『この夜にさよなら』は、アルバムチャート14位
ロックバンドのアルバムは売れない時代でした
ダウンタウン・ブギウギ・バンドの『スモーキング・ブギ』も
先週の放送では、当時売れていたロックとして挙げましたけど
この1977年のチャートを賑わせていたのは
ダウンタウン・ブギウギ・バンドのベスト盤が年間50位
あとは、矢沢永吉さんのソロアルバム『ドアを開けろ』くらいですよ」と説明なさってましたが
まだ、歌謡曲全盛期だった当時のこと
3~4ヶ月に1枚、シングルレコードをリリースせよ…という音楽業界の慣例によって
1枚のアルバムから2枚のシングル…つまり、4曲がカットされていた訳で
月々のお小遣いをやり繰りして、レコードやチケット、ライブに着て行く洋服や化粧品を買い
会場までの交通費や飲食費を捻出したものの
「シングルレコードにまでは、力及ばず…」と奥さん(苦笑)
先行シングルが発売されても、少し待っていれば、その曲も収録されたアルバムが出るんだし
アルバムが出たあとのシングルには、魅力を感じなかったし(失礼!)
いずれにせよ、甲斐さんが、ご自身のラジオ番組や、プロモーションで出演なさった番組で
その最新作を流されていたため「それを録音して覚えてた(笑)」みたいで
シングルに比べ、アルバムのセールスが好調だったのは
当時の奥さんと同じような聴き方をなさるファンの方が多かったからじゃないかと…?
アルバム1枚が、2,500~3,000円…当時の甲斐バンドライブのチケット代とほぼ同じなら
シングル1枚500~600円は、ちょっと割高に感じられたのかも知れません(苦笑)
ともあれ…「ツイストが、このあと出て来るんですけど
まだ、バンドとしての全体像などは見えてませんから
こんな風に語れるところまで来てませんでした」と田家さん
まあ、学生でいらした世良さんが、甲斐バンドのライブでバイトなさってたんですもんね?
「そして、こういうライブとアルバムで地固めしていたのが
1977年から1978年だったと言っていいでしょうね
その転機になった『誘惑』から『シネマ・クラブ』」を流されたあと
「官能的なロックという感じですね。番組ディレクターが、この曲を聴いて
『ブライアン・フェリーみたいですね』と言ってましたが
まさに、その頃のイギリスのロックシーンとか
デヴィッド・ボウイなどと同期しながら、日本の音楽を作っていた」…って
ブリティッシュロックに影響を受けられたのはもちろん
甲斐さんのステージでの動きが、ミックのそれと似ていらっしゃったり
ライブが進むに連れて、甲斐さんが上着やシャツを、どんどん脱ぎ捨てて行かれるのは
「ボウイの真似をした」とおっしゃってたり
某時計メーカーのCMに出演なさったにも関わらず(笑)
「締められる感じがイヤで、20代中盤から取った」のに
「デヴィッド・ボウイがライブで、腕時計しながら歌ってたのを真似したけど
ライブ中、気が狂いそうになって、投げ捨てそうになった(笑)」と明かされたり
…と、音作りにもライブにも英国のエッセンスが垂らされていたのは間違いなさそうですね?
「さっきの『嵐の季節』と『シネマ・クラブ』には
先週お送りした『英雄と悪漢』『ガラスの動物園』の中にあった
青春の感傷・葛藤という感じは、もうありませんね
大人のアルバムを作り始めてるのが、この1977年・1978年、そして大爆発の1979年です
1970年代から1980年代にかけての新しい時代を切り開いた栄光のロックバンドの軌跡
全てがここで変わったという曲です
1978年12月20日に発表になったシングル『HERO』」を流され
「SEIKOのCMのタイアップですね
甲斐バンドと言うと、この曲が出て来る訳ですが、それはヒット曲の宿命でもあります
改めて、こうやって聴くと、やっぱり良い曲ですね
甲斐バンドらしいキーワードが、随所に散りばめられていて、勢いもある
『ここから俺たちはヒーローになるんだ!』というエポックメイキングな1曲です
1979年1月1日午前0時に、彼らも出演していたCMの放映が始まって
時計屋の店頭に等身大のPOPが並んだ
2月26日付のシングルチャート1位になって、ミリオンセラーになりました
前作のシングル…1978年8月にリリースされた『LADY』という曲があって
これは、アルバム『誘惑』にも収録されているんですけど
セールスは5万枚行くかどうかだったんです
それが、いきなり100万枚になった時にどうなるか?
アルバム『この夜にさよなら』の1曲目に『最後の夜汽車』という曲があって
『スポットライトは、どこかの誰かのもの』って歌ってたんですね
そこに、いきなりスポットライトが当たった訳で
彼らが、それをどうハネ除けようとしたか?それこそ、やり過ごそうとしたか?」
…と、この日の番組冒頭の田家さんの言葉まで追いついたトコで
ちょうどお時間となりました(笑)この続きはまた次回に…