ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

愛ろく4ツアーに向けて2

2018-08-18 13:54:00 | 日記
甲斐さんは、東日本大震災が起きた時
「自分の最大の武器である歌で表現するということは二の次で
とにかく、被災された人たちを応援するには
どういうやり方があるんだろう?」とお考えになり
吉岡秀隆さんに提供なさった【光あるうちに行け】を
新たにレコーディング、配信を始められた訳ですが

震災直後ではなく「被災された人たちが
ある程度の平静さを取り戻した時」だったのは
震災直後だと「被災した人たちは聴けないじゃないですか
その時点でやるとすれば、他の地域の人たちがダウンロードしたお金を
被災地に送るという考え方だったと思うんですけど
それは、僕は嫌だったんです

被災された人たちも聴いて、その人たちの心の中で
多少の勇気づけとか、ほんの微かな慰みになって
それと同時に他の人たちからの収益金も届けられるというのが、一番いいかな」
…との思いからだったそうだけど

この【光あるうちに行け 2011】と
BS日テレの「よい国のニュース」がきっかけで
お蔵入りになさっていたセルフカバー集と
震災後に書き下ろされた曲を収録したアルバム「ホームカミング」が
ジャケットも歌詞カードもないシンプル盤として
ライブ会場で緊急先行発売され
それに伴い、当初予定されていたセットリストも、かなり変更があったようです

もう一つのアクションとして
NHKの「がんばろう東北・がんばろう関東」へのご出演
…って、こちらは当初「J-POPプレミアム」というタイトルで
代々木体育館から生中継されるはずだったんだけど

クジ運の悪さには絶対の自信を持つ(笑)奥さんが珍しく当選を果たし
今までお世話になって来た甲斐友さんを誘って
やっと少しは恩返しが出来ると喜んでいたら
「ご来場の皆さまの安全のため」
NHKホールでの無観客放送に変更とのお知らせが…(苦笑)

そうそう!この頃、ちょうど甲斐報が「VOL.100」を迎え
「わたしのなかの甲斐よしひろ」というアンケート特集が組まれていて
「甲斐よしひろ(もしくは甲斐バンド)との出会いは?」
「KAIにひとつだけ質問するとしたらどんなことですか?」
「あなたの、KAIにまつわるプチ自慢があれば教えてください」という
3点について皆さんがお答えになってるんですが

一般の会員の方々に混じって、かつてのマネージャーの方や
甲斐さんのヘアメイク担当の方
愛ろくツアーメンバーの渡辺等さんと佐藤強一さん
それに松藤さんのお名前も見受けられ(笑)ニマニマしながら読んでいたら

「ミュージシャン・土屋公平さん」が…
2番目の質問に「かなり重大な質問です
甲斐さんに誘われて参加させて貰ったNHKの番組で
『甲斐バンド』として紹介されましたが
僕はメンバーに入ったんでしょうか?
実はあれからずっと気になってます」と記されていて(笑)
「そうだったっけか?」と遠い目をしてしまいました(笑)

ちなみに、3番目の質問については
「ステージでの甲斐さんのメイクは、僕がやってあげることがありますが
これは甲斐バンドの皆さんにはないことではないかと思います
これはいいソロを弾くのと同じくらいのポイントはあると思います」
とお答えになっていて「甲斐バンドの皆さん」より
「甲斐さんに近い存在」アピールみたいな気が…?(笑)

ともあれ…「愛のろくでなし」というツアー名は
最初「ろくでなしツアー」にするか?
「愛の」を付けるか?で悩まれたらしく
震災が起きた後に「『愛の』って付けることにしてて良かった!
『ろくでなしツアー』なんて大きな声で言えないよねぇ?(苦笑)」と甲斐さん

でも、それも、多くのアーティストの方々から
ライブやツアーのキャンセルが相次ぐ中
敢行に踏み切られたからこその「気がかり」だった訳ですよね?
まあ、松藤さんは「『ろくでなし』を『ロックでない』と解釈すれば(笑)
僕の予想と期待は全く外れ」とおっしゃってましたけど…(笑)

ただ、当初、甲斐さんは「3ピース案」のギタリストに
公平さんを…と考えておられたものの
公平さんは、某女性アーティストのツアーメンバーでいらしたため
スケジュールが合わず断念なさって(汗)
その後、映画「照和」の流れから
イチローさんと佐藤英二さんの「ツインギター案」が固まってから
女性アーティストのツアーがキャンセルになった…という裏話もありましたよね(苦笑)

そして、震災にまつわるツアーのエピソード大トリは
やはり何と言っても石巻専修大学の学園祭でしょう
震災直後は仙台市内でのライブも開催できるのか危ぶまれたけど
建物が倒壊を免れたこと、交通機関やライフラインの復旧など
少しは日常生活を取り戻しつつある状況にあったことで

甲斐さんは「今、仙台でライブをやることが最高のメッセージ」との思いから
「日頃のウサを晴らして貰えるように」全力のパフォーマンスを披露され
それをご覧になった学園祭の実行委員の方々からオファーを受けられ
三十数年ぶりの学園祭参加を即快諾なさったんだとか…

準備をなさる実行委員会の皆さんは
物を揃えるため買い出しに行こうにも、お店自体が潰れていたり
ボランティアの方々が懸命に活動して下さっている中
「祭りに力を入れていて良いのか?」と悩まれたり
…と、かなり苦労されたみたいですが

甲斐バンド&kainatsuさんによる渾身のライブが終わった後
「この震災を機に『いつか観に行こう』とか『後で観に行こう』じゃなしに
今観れるもの、今行ける所、今やっておこうっていう感覚になってる」と
人生観が変わられた方や
「今まで、楽しみって全然なかったですからねぇ」とおっしゃっていた方が

「元気を貰えた」と喜んでいらしたそうで
改めて音楽の力のすごさを感じますし
甲斐さんも被災地の状況をご自身の目でお確かめになったことによって
音楽活動に何らかの影響や刺激を受けられたんじゃないかと…?
コメント (2)
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