桜庭一樹『少女を埋める』(文藝春秋、2022年)
この作品集は、表題となっている『少女を埋める』と、鴻巣友季子(作中ではC氏)が朝日新聞の文芸欄に書いた書評をめぐるやり取りを書いた『キメラ』と『夏の終わり』の三編でできている。
純粋に創作として書かれたのは最初の『少女を埋める』だけだし、鴻巣友季子の書評をめぐる問題は多くの人が書いているので、私は取り上げない。ここでは『少女を埋める』だけを取り上げて、私の感想を書いてみる。
舞台はほぼ鳥取県の米子市の駅前のビジネスホテルとそこからあるいて10分くらいのところにある錦海(中海の一番底にあたる部分を地元では錦海と呼ぶ)に面した鳥大医学部の附属病院(通称医大病院)と葬儀屋である。
2021年2月も終わり頃に、20年来病気と闘ってきた父親の様子が悪いというので、7年前から帰省していなかったこともあるし、コロナ禍であるため面会に行っていなかったので、ネットでの面会をしようとしたが、不可能になり、思い切って帰省したところ、その数日後には父親が亡くなり、これまたコロナ禍のために親戚一同を集めた葬儀もできないので、母親と二人で葬儀を済ませ、遺骨を持って、父親の出身地の町に出かけて、そこで法事をしてから、東京に帰ってきた、というようなあらすじになっている。
私の感想としては、この小説の主題の一つは、語り手であり主人公の冬子(東京で作家をしている)と母親の確執であるように思う。
この母親は冬子が子供の頃に冬子に暴力を振るったこともあるような女性で、冬子が作家として駆け出しで、まだ作家として食べていけるかどうかわからない時期には、自分が探してきた寺の息子と無理やりお見合いをさせて、寺の住職の嫁の仕事をしながら小説を書けばいいと言うような母親、作家として軌道に乗ってきたら、秘書をしてあげると言うような母親として描かれている。
そういうこともあってか、冬子は母親に東京の自宅の住所を教えていないし、今回の米子行きの後でも、母親からのメールに着信拒否を設定するような関係として描かれている。
そして例の論争で問題になった出棺前の場面
「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね…」と涙声で語りかけ始めた。(…)
内心、(覚えていたのか……)と思った。
自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかっているものだのだろうか。あの人もこの人も、みんな。
異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。
(…)
父は、許しているように、わたしには感じられた。あれだけ優しかった人が、泣いて謝っている人を、しかも愛妻を許さないという姿は想像できなかった。
何もかもが一昨日で終わったのか。すべては恩讐の彼方となるのか。
それにしても、とわたしは思った。
――夫婦って、奴はよ!
深いな。沼だな。で、おっかねぇなぁ、おい。
(…)
……愛しあっていたのだな。ずっと、わたしは知らなかったのだな。
(p. 75-76)
私はこの箇所を読んだとき、冬子の母親への侮蔑感・嫌悪感を思った。この小説は父親の死に直面した娘の話ではなくて、母親に対する娘の縁切りを決断した一連の経緯を書いた小説なんだなと思った。
考えてみれば、同じ市内に実家があるのに、帰省してもそこで過ごさずに、ビジネスホテルに宿泊するというのも変だし、母親が家に来るなと娘に言うのも変だし。
そしてさらに遺骨を持って父親の出身地に行って、父親の一族と合流して寺に行く場面で、突然SF小説の『キリンヤガ』の話になり、自分自身としての成長と夢の実現を願い、生まれた共同体にありのままの自分を受け入れてほしいと願っていた主人公の少女と自分を冬子がダブらせて見ていることが明らかになると、この小説は、母親をこうした共同体を擬人化したものとして描き、そこからの離脱を「少女を埋める」という言葉で象徴させているのではないかと、考えるようになった。
この連作は、こうした抑圧的な共同体―朝日新聞社という共同体、評論家の文芸共同体―との闘いを描いたという意味で一貫していると言えるのかもしれない。
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この作品集は、表題となっている『少女を埋める』と、鴻巣友季子(作中ではC氏)が朝日新聞の文芸欄に書いた書評をめぐるやり取りを書いた『キメラ』と『夏の終わり』の三編でできている。
純粋に創作として書かれたのは最初の『少女を埋める』だけだし、鴻巣友季子の書評をめぐる問題は多くの人が書いているので、私は取り上げない。ここでは『少女を埋める』だけを取り上げて、私の感想を書いてみる。
舞台はほぼ鳥取県の米子市の駅前のビジネスホテルとそこからあるいて10分くらいのところにある錦海(中海の一番底にあたる部分を地元では錦海と呼ぶ)に面した鳥大医学部の附属病院(通称医大病院)と葬儀屋である。
2021年2月も終わり頃に、20年来病気と闘ってきた父親の様子が悪いというので、7年前から帰省していなかったこともあるし、コロナ禍であるため面会に行っていなかったので、ネットでの面会をしようとしたが、不可能になり、思い切って帰省したところ、その数日後には父親が亡くなり、これまたコロナ禍のために親戚一同を集めた葬儀もできないので、母親と二人で葬儀を済ませ、遺骨を持って、父親の出身地の町に出かけて、そこで法事をしてから、東京に帰ってきた、というようなあらすじになっている。
私の感想としては、この小説の主題の一つは、語り手であり主人公の冬子(東京で作家をしている)と母親の確執であるように思う。
この母親は冬子が子供の頃に冬子に暴力を振るったこともあるような女性で、冬子が作家として駆け出しで、まだ作家として食べていけるかどうかわからない時期には、自分が探してきた寺の息子と無理やりお見合いをさせて、寺の住職の嫁の仕事をしながら小説を書けばいいと言うような母親、作家として軌道に乗ってきたら、秘書をしてあげると言うような母親として描かれている。
そういうこともあってか、冬子は母親に東京の自宅の住所を教えていないし、今回の米子行きの後でも、母親からのメールに着信拒否を設定するような関係として描かれている。
そして例の論争で問題になった出棺前の場面
「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね…」と涙声で語りかけ始めた。(…)
内心、(覚えていたのか……)と思った。
自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかっているものだのだろうか。あの人もこの人も、みんな。
異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。
(…)
父は、許しているように、わたしには感じられた。あれだけ優しかった人が、泣いて謝っている人を、しかも愛妻を許さないという姿は想像できなかった。
何もかもが一昨日で終わったのか。すべては恩讐の彼方となるのか。
それにしても、とわたしは思った。
――夫婦って、奴はよ!
深いな。沼だな。で、おっかねぇなぁ、おい。
(…)
……愛しあっていたのだな。ずっと、わたしは知らなかったのだな。
(p. 75-76)
私はこの箇所を読んだとき、冬子の母親への侮蔑感・嫌悪感を思った。この小説は父親の死に直面した娘の話ではなくて、母親に対する娘の縁切りを決断した一連の経緯を書いた小説なんだなと思った。
考えてみれば、同じ市内に実家があるのに、帰省してもそこで過ごさずに、ビジネスホテルに宿泊するというのも変だし、母親が家に来るなと娘に言うのも変だし。
そしてさらに遺骨を持って父親の出身地に行って、父親の一族と合流して寺に行く場面で、突然SF小説の『キリンヤガ』の話になり、自分自身としての成長と夢の実現を願い、生まれた共同体にありのままの自分を受け入れてほしいと願っていた主人公の少女と自分を冬子がダブらせて見ていることが明らかになると、この小説は、母親をこうした共同体を擬人化したものとして描き、そこからの離脱を「少女を埋める」という言葉で象徴させているのではないかと、考えるようになった。
この連作は、こうした抑圧的な共同体―朝日新聞社という共同体、評論家の文芸共同体―との闘いを描いたという意味で一貫していると言えるのかもしれない。
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