読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「風の歌を聴け」

2006年03月25日 | 作家マ行
村上春樹『風の歌を聴け』(講談社、1979年)

私が『ノルウェーの森』『海辺のカフカ』『スプートニクの恋人』を読んで、同じような主題ばかりで飽きてきたとこのブログで書いたところ、この作品を読んでみてはどうかとコメントしてくださった方がありました。コメントしてくださった方、ありがとうございます。読んでみました。

これは村上春樹が30歳前後の作品ですね。ずいぶん突っ張ってるね!なんでこんなに肩肘張ってるの?というのが第一印象です。冒頭、「完璧な文章などといったものは存在しない」と明言する知り合いの作家の言葉を引用し、そして自分が8年間も自分の書けるものがあまりに限定されてきたことに苦しんできたと告白しつつ、「完璧」に近い文章を書き付けるのだから、読むほうは嫌味にしか読めないのじゃないでしょうか。私が村上春樹の文章を完璧と思うのは、こんなに文体とその内容がぴったりしている文章は他にはないと思うからだし、たとえば祖母が死んだという話をしながら「彼女が79年間抱き続けた夢はまるで歩道に落ちた夏の通り雨のように静かに消え去り、後には何ひとつ残らなかった」といような文章のように、その比喩、譬えの的確さにあると思っています。

他には次の年に発表した『1973年のピンボール』という作品で僕は双子と暮らすことになります。ある時電話の配電盤の取替え工事に人がやってきます。双子が配電盤というものがどんなものなのか分からないというので工事人が母犬と子犬のたとえを使って説明します。その一連の会話の最後
「さて、配電盤を捜さなくっちゃ」
「捜す必要なんてないわよ」と右側が言った。
「押入れの奥よ。板をはがすの」と左側が続けた。
僕はひどく驚いた。「ねえ、何故そんなこと知ってる?僕だって知らなかったぜ」
「だって配電盤でしょ?」
「有名よ」
「参ったね」と工事人が言った。

このやりとりの最後なんか会話文の絶品ではないでしょうか? こんな会話文を書ける人はまぁいないような思いますが。これまで読んだことがないですね。

ただ『風の歌を聴け』では、煙草を吸いつづけ、(太鼓腹になるんじゃないかと読むほうが心配するほど)ビールばかり飲みつづけ、得体の知れない人生というものをすでに傍観している僕を、語り手はすごく肩肘張って、突っ張って書いている、そんな風に思うのですが、どんなものでしょうか? 当時の村上春樹がどんなことを考えていたのか私にはよく分からないので、これ以上突っ込んだことは述べることが出来ないのですけど、まぁこれが印象ですね。

それにしても、こんなほとんどだれも読んでいないような私のブログにコメントくれた方が二人いらっしゃいましたが、どちらも村上春樹の作品の時でした。『海辺のカフカ』が発表された時も、読者からすごい手紙が来て、それに村上春樹がいちいち返事を出したそうで、それがまた一冊の本になっているそうですから、村上春樹の人気ってすごいですね。たしかに上にも書きましたが、彼の文章は完璧と言っていいと思います。ほんと、すごい。

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