読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「SPEED」

2007年09月07日 | 作家カ行
金城一紀『SPEED』(角川書店、2005年)

The Zombies Seriesという副題をもつので、同じシリーズ物が今後もでるのだろうか?

永正大学の教授や学生たちの不祥事につけこんで彼らを利用し、また学園祭の実行委員長を務めることで金と権力を手にしようとする法学部の学生中川にたいして、彼の犠牲になった同級生彩子の自殺に不審をいだいた高校生の岡本佳奈子が、他殺の証拠のようなものをもっていると中川に言ったことから、中川の手下に襲われ、彼女をたまたま助けてくれたことから、ゾンビーたち、つまり南方、朴、萱野、山下、アギーたちと行動し、中川の謀略を頓挫させるという話。ちょっと石田衣良の池袋なんとかシリーズに似ている。

やはりこれも時代なのだろうかと思うのは、かつて社会の悪に対してそれに立ち向かいそれを暴いてやろうとするような登場人物が出てくる小説というものは、松本清張なんかがそのいい例だと思うのだが、フランスのバルザックの小説のごとき重厚さがあった。つまり事件や出来事の社会的背景について用意周到に描写が張り巡らされ、登場人物も個人として動いているというよりも社会的存在だったように思える。

だが、石田衣良のシリーズ物にせよ、この金城の小説のゾンビーたちにせよ、取り上げられている犯罪というか事件なんかは時事的背景が使われて社会的に見えるけれども、またその登場人物たちの悪に対する思いはけっして清張の人物たちに負けることはないのだが、どうも個人的行為に見えてしまう。

たとえば永正大学の学園祭に乗り込んで中川をとっちめるという計画の前夜、南方がこんな風に佳奈子に自分たちのしていることを説明している。

「少しまえにあることがあって、俺たちの世界はあっけなく壊れちゃったんだ。これまで俺たちは俺たちなりに世界をまともに機能させようと思って、がんばってたんだぜ。でも、わけの分かんない力が俺たちの大切なものを奪っていっちゃって、俺たちがそれまでいた世界はもう元には戻らなくなっちゃったんだ。でもって俺たちがどうやって世界を作り直そうか途方に暮れている時に岡本さんが現れて、きっかけをくれたってわけさ。」(p.204)

この世界という言葉を本来の意味にとってはいけないのかもしれない。たんに彼らの狭い生活の圏域のことを言っているだけのことなのだろう。それを私は読みながら大きな世界と理解したことが、この作品を松本清張なんかと比較するというような「間違い」をしでかすことになったのかもしれない。

でも佳奈子が通うお嬢様学校のどうしようもないほど閉ざされた変化のない世界に風穴をあけるには、それを通して日本社会のどうにもならないほどにっちもさっちもいかない世界に風穴をあけることから始めるしかないという気持ちは分からないでもないし、この作家をはじめとして良心的な作家たちが現代社会に立ち向かうときにとる態度がこうした趣をもつことは、逆にそれほど日本社会が成熟していないことの表れなのだと理解することも出来るだろう。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 市場経済の悪夢 | トップ | キューバ人の不思議 »
最新の画像もっと見る

作家カ行」カテゴリの最新記事