読書な日々

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『踊るバロック』

2023年07月02日 | 人文科学系
赤塚健太郎『踊るバロック』(アルテスパブリッシング、2021年)

「バッハの舞曲は本当に踊れるのか?」というキャッチーな解説文のせいで、前々から気になっていた本で、地元の図書館にはなかったので、わざわざ大阪府立図書館から取り寄せて読んでみたのだが、結論から言うと、面白くもなんともない本だった。買わなくてよかった。

当たり前といえば当たり前なのだが、バッハの舞曲をバッハ自身が踊られることを前提に書いたのかどうかは、バッハが何も言及していないので、なんとも言えないということだし、現代人が振り付けをして踊っても、どんな音楽でもそれは可能なのだから、バッハの舞曲が踊れることの証拠にはならないというし、結局、どうとでも言えるということのようだ。

ただ、踊れることを前提に書いていなくても、舞踏としての特徴―例えばメヌエットの独特のリズム―などが舞曲に反映されている、取り込まれているのは事実らしく、しかしそれは著者も書いているように、すでに服部幸三が「様式化」という言葉で指摘しているのはよく知られているし、わかりやすい説明なのだが、それもこの著者は否定的である。

そして専門的という第三章のクーラントと第四章のメヌエットの章を読んでみたのだが、運弓の話ばかりで、なんか面白くもなんともないというのが私の印象であった。確かに専門的な内容なので、専門家にはおもしろいのかもしれないが。

上にも書いたがあまりにキャッチーな文句に期待をしすぎたのかもしれない。

まぁこの点は著者自身も自覚をしているのか、「はじめに」で「本書を読んでもバロック舞曲の演奏が即座に上達することはない。むしろバロック舞曲のしかるべき演奏とはどのようなものかということについて、さらに疑問を深めることになるだろう。(…)」と記している。

最後にフランス語の読みのことで疑問に感じたのは、Rameauを「ラモー」ではなくて「ラモ」と表記していることだ。フランス語のeauは三つのアルファベットがあるからと言って、長音節になるわけではないので、Ramoと書いてあるのと発音は同じだという考えから、「ラモ」としたのなら、coulanteも「クーラント」ではなくて「クラント」とすべきではなかったのかと思う。Rameauの場合は、フランス語では最終音節にアクセントが来て、その場合に多少長く読むので、「ラモー」と表記するのが正しい。

こういう人名や用語の日本語表記はある程度日本語として定着したものを使用するしかない(そうしなかったら、何を言っているのかわからなくなるから)。そういう意味では普通に「ラモー」と表記すればよかったのではないかと思うのだが。

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