渡辺武『戦国のゲルニカ「大阪夏の陣図屏風」読み解き』(新日本出版社、2015年)
今ちょうどNHKの大河ドラマ『真田丸』で描き始めた大阪の陣(まだ冬の陣の前だが)で引き起こされた、徳川諸大名と、大阪城に終結した豊臣側の浪人たちの戦い、そして敗走する戦闘員と大阪町民たちを襲う徳川方の戦闘員や追い剥ぎたちの阿鼻叫喚の地獄絵図を描いたのがこの「大阪夏の陣図屏風」だという。
何度もこの本で繰り返し述べられているのは、これまでの戦国時代のどんな戦にも見られなかった(たぶん応仁の乱の京都が唯一の先例だと思われるが)、市街戦が大阪夏の陣の本質であり、そこでは、いつの時代の戦争にも見られる、戦闘員たちの狂気に駆られた非戦闘員への非人道的な行為が、ここにも見られるということだ。
戦闘員同士が首を取ったという戦果のために死に物狂いの殺し合いをするだけならまだしも、そうした狂気沙汰が、市街戦であるために、避難民たちにも及び、非戦闘員が殺されたり、女子が性的暴行を受けたり、衣服を剥がれたり、という悲惨な目に遭っている様子までこの屏風絵には描かれている。
したがって、この屏風絵は、少し前に描かれた、これまた大作で、四翼あったと言われている「関ケ原合戦絵図」が、まったく徳川家康の側に立って、その栄光を描くために描かれたのとは、まったく意味が違うと、著者は強調している。
それにしても、秀吉に対する家康の恨みは相当のもので、この夏の陣で自刃した秀頼、茶々の他豊臣家の係累はすべて根絶やしにされ、大阪城は天守から何から何まで埋めてしまい、その上にまったく新しい大阪城を建てさせたという。
その凄まじさ、そして家康のせいで大阪が市街戦にされて戦火に燃え上がり、死屍累々の地となったという恨みが、秀頼は密かに逃げてその子孫が現代まで続いているというような話が密かに語られるというような土壌のもとになっているのだろう。
これから『真田丸』がどんな描き方をするのか興味深い。
今ちょうどNHKの大河ドラマ『真田丸』で描き始めた大阪の陣(まだ冬の陣の前だが)で引き起こされた、徳川諸大名と、大阪城に終結した豊臣側の浪人たちの戦い、そして敗走する戦闘員と大阪町民たちを襲う徳川方の戦闘員や追い剥ぎたちの阿鼻叫喚の地獄絵図を描いたのがこの「大阪夏の陣図屏風」だという。
何度もこの本で繰り返し述べられているのは、これまでの戦国時代のどんな戦にも見られなかった(たぶん応仁の乱の京都が唯一の先例だと思われるが)、市街戦が大阪夏の陣の本質であり、そこでは、いつの時代の戦争にも見られる、戦闘員たちの狂気に駆られた非戦闘員への非人道的な行為が、ここにも見られるということだ。
戦闘員同士が首を取ったという戦果のために死に物狂いの殺し合いをするだけならまだしも、そうした狂気沙汰が、市街戦であるために、避難民たちにも及び、非戦闘員が殺されたり、女子が性的暴行を受けたり、衣服を剥がれたり、という悲惨な目に遭っている様子までこの屏風絵には描かれている。
したがって、この屏風絵は、少し前に描かれた、これまた大作で、四翼あったと言われている「関ケ原合戦絵図」が、まったく徳川家康の側に立って、その栄光を描くために描かれたのとは、まったく意味が違うと、著者は強調している。
それにしても、秀吉に対する家康の恨みは相当のもので、この夏の陣で自刃した秀頼、茶々の他豊臣家の係累はすべて根絶やしにされ、大阪城は天守から何から何まで埋めてしまい、その上にまったく新しい大阪城を建てさせたという。
その凄まじさ、そして家康のせいで大阪が市街戦にされて戦火に燃え上がり、死屍累々の地となったという恨みが、秀頼は密かに逃げてその子孫が現代まで続いているというような話が密かに語られるというような土壌のもとになっているのだろう。
これから『真田丸』がどんな描き方をするのか興味深い。