佐藤賢一『褐色の文豪』(文芸春秋、2006年)
『三銃士』『モンテクリスト伯』『王妃マルゴ』などの小説で有名なアレクサンドル・デュマの伝記的小説である。いちおう、フランス文学に関心をもつものとして、デュマがどんな小説を書いていたか程度のことは知っていたけれども、こうやって小説の形で読むと、シャルル・ノディエとの関わりやあの文豪ビクトル・ユゴーを歯軋りさせた新聞小説での大活躍など有名な人物との関わりや、時代状況が手に取るように分って、じつにためになる。
興味深く読んだところは二つある。一つは、デュマが作家として活躍を始めて、一躍パリの有名人になった頃に起きた7月革命である。王政復古がなり、ギロチンにかけられたルイ16世の弟であったルイ18世が国王になるが、彼の後を継いだシャルル10世が暴君の名をほしいままにして、矢継ぎ早に彼の支持基盤である大地主に有利な政策を展開していったために7月革命が起きる。そして政治的には自由主義を標榜するオルレアン公ルイ・フィリップが立憲王政を継承することになる。もちろん議会が実施的な政治を行うという意味で立憲王政なのだが、大地主から大ブルジョワに権力が移行しただけの革命とは名ばかりのものであったことは、まぁ一般に歴史の本などで言われていることだ。だがそれをそこに生きたデュマという人物がどのように関わっていったのかということを、生きた人間の物語として提示されると、その相貌もずいぶんと変わって見える。パリのバリケード戦というのは、パリの通りが狭いのですぐできることで有名で、たしかフローベールの『感情教育』の冒頭にも描かれていたのは7月革命の余韻ではなかったかな(記憶違いかもしれない)。それでまた48年には2月革命が起き、クーデタがおきて第二帝政になるときにも同じようなことがおきたため、ナポレオン三世がオスマン将軍に命じて、パリの大改造を行い、簡単にバリケードが気づけないように通りを広くしたという話がある。
二つ目には、新聞小説ということだ。新聞小説といえばバルザックだと思っていたが、たしかに新聞小説が新聞の発行部数を延ばす働きを演じるほどに読者をひきつけるようになったというのはデュマの『三銃士』が最初だったのかもしれない。このなかでも描かれているように、革命前はフランスの識字率はほんとうに低いもので、読者といってもたかが知れているが、19世紀になると学校教育もじょじょに整ってきて、識字率が上がってくる。それにともなって、安価で手に入る新聞で読める小説は読者大衆をひきつけるのに格好のメディアだっただろう。日本でも夏目漱石の小説はほとんど新聞小説で発表されたものだ。新聞好きのフランス人という特徴はこの時代にできたのかもしれない。
新聞小説作家の売れっ子ぶりも書かれているが、それはもう現代の売れっ子漫画家、たとえば手塚治虫の様子を見ているような風に描かれている。もちろん作者の佐藤賢一がそうなのだろうし、現代の売れっ子作家のイメージをそこに投影していることは間違いない。そういう意味でも現代のように文芸が商業ベースにのって、作家をあっという間に時代の寵児にしたり、あっという間に没落させたりというのは、デュマの時代に始まったとみていいだろう。
たしかにユゴーの『レ・ミゼラブル』やバルザックの小説に比べると時代がルイ13世とかルイ14四世とかのように17世紀であってみれば、あまりに古臭い感じがしないでもないから、それが『レ・ミゼラブル』のように今日でもいまだにミュージカルの題材となったりするところと違う。ただ、絶対王政に入る以前のフランス人にはまだ自由闊達なところがあっただろうから、それが『三銃士』のようなはらはらどきどきの活劇的作品を生み出す政治的土壌であったのだろう。
それにしても『三銃士』なんて、少年少女向けのリライトしたものでなくて、そのまま読めるのだろうか? 岩波文庫にありました。

興味深く読んだところは二つある。一つは、デュマが作家として活躍を始めて、一躍パリの有名人になった頃に起きた7月革命である。王政復古がなり、ギロチンにかけられたルイ16世の弟であったルイ18世が国王になるが、彼の後を継いだシャルル10世が暴君の名をほしいままにして、矢継ぎ早に彼の支持基盤である大地主に有利な政策を展開していったために7月革命が起きる。そして政治的には自由主義を標榜するオルレアン公ルイ・フィリップが立憲王政を継承することになる。もちろん議会が実施的な政治を行うという意味で立憲王政なのだが、大地主から大ブルジョワに権力が移行しただけの革命とは名ばかりのものであったことは、まぁ一般に歴史の本などで言われていることだ。だがそれをそこに生きたデュマという人物がどのように関わっていったのかということを、生きた人間の物語として提示されると、その相貌もずいぶんと変わって見える。パリのバリケード戦というのは、パリの通りが狭いのですぐできることで有名で、たしかフローベールの『感情教育』の冒頭にも描かれていたのは7月革命の余韻ではなかったかな(記憶違いかもしれない)。それでまた48年には2月革命が起き、クーデタがおきて第二帝政になるときにも同じようなことがおきたため、ナポレオン三世がオスマン将軍に命じて、パリの大改造を行い、簡単にバリケードが気づけないように通りを広くしたという話がある。
二つ目には、新聞小説ということだ。新聞小説といえばバルザックだと思っていたが、たしかに新聞小説が新聞の発行部数を延ばす働きを演じるほどに読者をひきつけるようになったというのはデュマの『三銃士』が最初だったのかもしれない。このなかでも描かれているように、革命前はフランスの識字率はほんとうに低いもので、読者といってもたかが知れているが、19世紀になると学校教育もじょじょに整ってきて、識字率が上がってくる。それにともなって、安価で手に入る新聞で読める小説は読者大衆をひきつけるのに格好のメディアだっただろう。日本でも夏目漱石の小説はほとんど新聞小説で発表されたものだ。新聞好きのフランス人という特徴はこの時代にできたのかもしれない。
新聞小説作家の売れっ子ぶりも書かれているが、それはもう現代の売れっ子漫画家、たとえば手塚治虫の様子を見ているような風に描かれている。もちろん作者の佐藤賢一がそうなのだろうし、現代の売れっ子作家のイメージをそこに投影していることは間違いない。そういう意味でも現代のように文芸が商業ベースにのって、作家をあっという間に時代の寵児にしたり、あっという間に没落させたりというのは、デュマの時代に始まったとみていいだろう。
たしかにユゴーの『レ・ミゼラブル』やバルザックの小説に比べると時代がルイ13世とかルイ14四世とかのように17世紀であってみれば、あまりに古臭い感じがしないでもないから、それが『レ・ミゼラブル』のように今日でもいまだにミュージカルの題材となったりするところと違う。ただ、絶対王政に入る以前のフランス人にはまだ自由闊達なところがあっただろうから、それが『三銃士』のようなはらはらどきどきの活劇的作品を生み出す政治的土壌であったのだろう。
それにしても『三銃士』なんて、少年少女向けのリライトしたものでなくて、そのまま読めるのだろうか? 岩波文庫にありました。