goo blog サービス終了のお知らせ 

読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『啓蒙思想の百科事典』

2023年04月19日 | 評論
『啓蒙思想の百科事典』(丸善出版、2023年)

18世紀学会というところが編集をして作られた百科事典である。「刊行にあたって」に「本書は読む事典として企画されており」と書かれているが、もちろんこれを普通の本のように、初めから終わりまで通読しようという人はいないだろう。

自分の関心の分野・項目や、知りたいと思う分野を目次や索引で調べて、拾い読みするのが普通の利用の仕方だと思うのだが、そのようにしてみた場合、あまりにもおそまつだと言わざるをえない。もちろん最大のネックは字数制限だろう。

執筆者一覧を見ると、そうそうたるメンバーが担当しており、私が見た限りでは(ってごく狭い分野のことしか知らないので偉そうなことは言えないのだが)、この人がこれを書いて、この内容なら仕方がないなと思わざるをえない執筆陣だ。

だからこそ余計に字数制限がネックになってたいしたことが書けていない、当たり障りのないことしか書けないというモヤモヤした感情は、執筆者たち自身が痛感していたのではないかと思う。

そのように考えると、このような企てにいったいどんな意義があるのか疑問に思う。本当に意義に釣り合うだけの内容にするつもりなら、4巻ものとか5巻ものにする必要があったと思うのは、私だけだろうか?

この本のアマゾンのコーナーへはこちらをクリック


『パリの日々』

2022年11月09日 | 評論
丸山直子・垂穂『パリの日々』(三修社、2020年)








言語学者の丸山圭三郎が1978年にフランス・パリに滞在したおりに、一緒に行って滞在した妻のエッセーの再刊。

丸山圭三郎といえば、一にも二にも『ソシュールの思想』(岩波書店、1981年)が素晴らしい。私は言語学が専門でもなかったが、当時の思想界を席巻していたポストモダンの祖であるソシュールの思想をわかりやすく、なおかつ問題点もふくめて解説した本として右に出るものはないと思う。

当時の丸山圭三郎は45歳。脂の乗り切った年代で、一年間パリに滞在したという。妻の直子の書いた文章は、まぁ私の当時のフランスとかパリの捉え方と同じ、つまりあこがれとしてのフランスという感じで、共感できるところがあちこちにある。

再刊にあたって読み返してみると食事の話しが多いと書いているが、食事はやはり日本とフランスでは大きな違いがあるので、旅行で数日いたのとは違って一年間滞在したら当然のことだろう。それに娘さんが入ったカトリックの私立学校の食事がフルコースなみの美味しさだというのは、以前テレビでみたフランスの保育園の食事がまさにそれだったので合点した。食を大事にする国民なのだ。

まぁその点は、以前ここにも取り上げた日本館館長の小林善彦さんや永見文雄さんの回想記があまり取り上げていないことなので、興味深く読んだ。

小林善彦さんのはこちら

永見文雄さんはこちら

私が初めて行ったのが1984年の夏。この頃はまだこのエッセーで書かれている雰囲気と同じだったが、2000年代の初めに数年間毎年のように行っていた頃には、適度の快適になっていたように思うが、ここ5年くらいはきな臭い事件が続発して、もう「憧れる」対象ではなくなったような気がする。

この本のアマゾンのサイトへはこちらをクリック



『東学農民戦争と日本』

2022年10月15日 | 評論
中塚明・井上勝生・朴孟洙(パク・メンス)『東学農民戦争と日本』(高文研、2013年)

10月の初めまでBS日テレで『緑豆の花』という韓国ドラマ(こちらをクリック)をやっていた。1894年から95年にかけての、「東学党の乱」と呼ばれた(しかし実際には甲午農民戦争と呼ぶべきらしい)農民運動から日本軍の侵略・日清戦争にいたる事件を描いたドラマで、じつに見応えがあった。

私にはうまくまとめることができないので、BS日テレの番組紹介をそのまま引用する。

「激動の時代を迎えつつあった19世紀末の朝鮮。全羅道古阜郡の吏房ペク・マンドゥク(パク・ヒョックォン)は郡守と組んで民を搾取する悪徳役人だった。長男イガン(チョ・ジョンソク)は庶子として蔑まれながら父親の汚れ仕事を手伝い、腹違いの弟イヒョン(ユン・シユン)は父親の期待を一身に背負い、日本留学を終えて科挙受験の準備中であった。一方、全州旅閣を率いるソン・ジャイン(ハン・イェリ)は利益を追求して大商団を夢見ていた。

ある日、暴政に怒った東学教徒チョン・ボンジュン(チェ・ムソン)が蜂起し、民乱が勃発。全羅道が混乱に陥る中、ジャインは大きな利益を手にできる軍商の地位を獲得し、東学党の目の敵にされたペク家はたちまち落ちぶれ、イヒョンは討伐軍の兵士となり、イガンはボンジュンとの出会いを通じて東学軍の義兵となる。」

このドラマではペク家の長男のイガンと次男のイヒョンという兄弟が日本軍の軍事介入という出来事を通して変わっていく姿を通して、激動期を描いていく。

イガンも加わった東学党の乱は反乱を起こした農民たちが各地で勝利して全州を制圧するが、朝廷はこれを鎮圧させるために清軍を呼ぶ。

それを見て、朝鮮での清による支配を怖れた日本が軍隊を送る。日本軍がやってくるという噂に危惧を感じた朝廷全権はチョン・ボンジュ将軍と和約を結んで、東学側の要求を受け入れる。そしてさまざまなレベルはあるものの、最も進んだ古阜では平民を主体とした行政府の機関の執綱所ができる。

最初はイヒョンがこの執綱所の代表になる(イヒョンは両班支配を嫌悪しており、彼なりの平等社会を夢見ている)。しかし両班を殺してしまい、逃亡して、ハニャンに潜伏する。

日本軍が朝廷を制圧し、国王を言いなりにさせて、反乱農民たちを鎮圧するように命じる。日本側の官僚に慶應義塾時代のイヒョンの先輩日本人がおり、彼を通じて、日本の側に加担するようになる。

日本軍は朝廷から反乱軍の鎮圧を命じさせる。そこからこの本の主題である日本軍によるジェノサイド(皆殺し)作戦が実行されることになる。

通常では朝鮮王朝が農民反乱を鎮圧する場合は指導者数名を島流しもしくは死刑にするだけで多くの者は解放される。しかし、このたびの日本軍のやり方は、当時の国際法さえも無視したジェノサイドであった。

それがほとんど知られていないのは、日本の公的な歴史書からは完全に消されてしまっているという。ごく一部の軍人の回想録などに記されているだけだという。

このドラマでは、そのあたりの事実も忠実に描いている。日本軍は連射式の機関銃を使い、農民たちは竹槍で対抗したのだから、皆殺しにすることは容易かっただろう。

しかし予期していなかった皆殺し作戦の実行を目の当たりにしたイヒョンは、自分が間違っていたことを悟って、自害する。この本によれば、日本軍人のなかにも自分のしていることに耐えられずに自害した軍人がいたという。

この本は『緑豆の花』というドラマの解説本といってもいいような内容になっている。大院君殺害や閔妃殺害などの部分はまったく触れられていないが、たぶんこちらは同じ高文研から出版されている金文子の『朝鮮王妃殺害と日本人』のほうを読むべきだろう。

この本の著者が繰り返し述べているように、日本人が朝鮮でした事実を掘り起こし、それを認めて、そのようなことを二度と起こさないという決意を日本社会全体のものとしないかぎり、日韓(朝鮮)の真の友好は成り立たないだろう。

この本のアマゾンのサイトへはこちらをクリック




『自民党の統一教会汚染』

2022年10月09日 | 評論
鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』(小学館、2022年)

それにしても、自民党と統一教会の関係がこれほどだとは思わなかった。

まず何と言っても選挙での利用だ。国会議員なら比例区で当選スレスレの候補者が支援対象になる。全国区でも6万から7万程度の集票力のようなので、当選スレスレの候補者を支援して当選させてありがたみを感じさせる。

市町レベルなら市長候補や市議会候補の運動員として動員して献身ぶりを味わわせる。

もちろん衆議院や参議院(こちらが多い)では誰を支援するかということは統一教会が勝手に決めるわけにはいかないから、自民党の指導部がその差配をしているのだろう。こんなこと誰にでもできるわけはない。

そして選挙で当選させた見返りに、その名前を利用させてもらう。こんな国会議員が自分たちを応援してくれている。自分たちの活動は公認のものだなどと言って、信者を増やすのに使う。

さらに最近目立っていると言われているのが、自分たちの世界観を国民や市民に押し付ける法律を議会で通させることだ。その世界観とは?―反・共、反・女性解放、反・男女平等、反・性教育など―などだ。

最後に、安倍元首相暗殺事件のことも書かれている。

洗脳された親がわけのわからないところへどんどん金をつぎ込んで家の金がなくなっていき、子どもである自分たちの進学費用どころか日々の生活費さえなくなって、伯父の世話にならなければやっていけない。

そんな経験をした山上が、いったい誰がその張本人なのか、いったい誰が母親にそんなことをさせているのか、そんな奴は許せない、と思い込んだ。

そこで浮かんできたのが安倍晋三元首相。たしかに祖父である岸信介が文鮮明と一緒になって作った勝共連合以来の親子3代にわたる関係があるとは言っても、この本でも記されているように、当初は安倍晋三は統一教会とは距離を置いていたという。

表立って姿を見せたのは2021年9月の『THINK TANK 2022』にトランプ元大統領に続いてビデオメッセージという形で登壇したものだけだという。これだって当日だけの公開だっという。

長年、統一教会と政治家の関係を調べている鈴木エイト氏をしてもこれくらいしか「太い絆」が見いだせないのに、自分の母親、ひいては自分の家族をめちゃくちゃにした統一教会の「後ろにいる政治家が安倍晋三だ」と考えるにいたったのだとするなら、やはり信者やその家族にしかわからない情報があったのではないかと思われる。

とにかくこの問題、国会でもメディアでもしっかり追求してもらいたい。


この本のアマゾンのサイトへはこちらをクリック


『未完の敗戦』

2022年09月25日 | 評論
山崎雅弘『未完の敗戦』(集英社新書、2022年)

日本とドイツ。どちらもファシズムによって自国民と周辺の国々を戦争の惨禍に巻き込んだという共通点を持つが、戦後の両国の歩みは正反対だと言っていい。

ドイツはナチズムときっぱり手を切り、ナチ思想の復活を許さない教育を進めている。そして現在の政治家たちも多くが手を切っている。

日本の支配層の精神構造が「大日本帝国思想」にあることは、コロナ問題でいかんなく発揮された。太平洋戦争の敗戦で日本は変わったと思っているのなら大間違いだ。何も変わっていない。いまだにコロナ禍に「竹槍」(精神論)「大本営発表」(嘘八百の情報ばかり)

日本は、戦後すぐは大日本帝国思想と手を切る方向へ進んだが、冷戦によるアメリカの方針転換によって、大日本帝国思想が復活を始めて、現在では支配層を牛耳っている。

こう考えれば、一見すると矛盾しているように見える、韓国発祥の統一教会と深く癒着をしながら、慰安婦問題・徴用工問題で韓国を否定するのも、コロナ禍の中でのオリンピック強行とか非正規雇用増大とかのように国民を虫けらのように扱うのも、太平洋戦争での軍人たちの悲惨な死(病死が半分)や若者たちを特攻で死なせたのも、すべて根っこは同じだということがわかる。

では対米従属は?大日本帝国はアメリカを敵として戦ったのではないのか?これについては内田樹が『「意地悪」化する日本』の中で、こう説明している。内田は、敗戦による日本の支配者たちは、国家戦略として、アメリカの属国になって忠義を尽くしアメリカから「信頼できる同盟国」という承認を獲得することができれば、アメリカから「自立のお許し」が得られるかもしれない、その日までがんばって従属しようという選択をしたという。まさにアメリカを支配者とする忠義国家になるという選択だという。

私たちは支配層を冷笑しているだけでは日本を変えることはできない。行動によって変えていくしかない。

この本のアマゾンのサイトはこちらをクリック


『「オードリー・タン」の誕生』

2022年06月12日 | 評論
石崎洋司『「オードリー・タン」の誕生』(講談社、2022年)



台湾のIT担当大臣になって、コロナ禍の初期にマスクの配布で混乱していた台湾の状況を、仲間たちに声をかけて数日でアプリを作って、落ち着かせたことで、日本でも一気に有名になった。私も彼の名前を知ったのは、これがきっかけだった。

たんに天から才能を与えられたギフテッドというだけだったら、彼はこれほどの人物にはならなかったということが、この本をよむとよくわかる。

小学校での虐め、教師からの体罰、家庭での両親の無理解、普通なら人間性を歪めてしまうはずの経験をしてきた、もちろんいろんな偶然や幸運(ドイツでの経験)があってのことではあるけれども、そういう経験をしてきたからこそ、そして時代がちょうどネット社会の幕開けの時代だったからこそ、人間的にも成長することができたのだろう。

それに性的同一性障害を持っていたことも、公平でオープンな世界を模索することを可能にした。さらに彼の成長と並行して、台湾の社会そのものが「たんぽぽ運動」のように改革の方向に動き出していたことも幸運だっただろう。

台湾でも韓国でも国民が下からの運動で社会を変えて活気のある国にしているなかで、戦前回帰の動きが力をつけて、古い考え方にしがみついている日本だけ例外的に社会が停滞している。

アマゾンのサイトへはこちらをクリック



『韓国カルチャー』

2022年06月05日 | 評論
伊藤順子『韓国カルチャー』(集英社新書、2022年)



映画の話をしながら、ネタバレしないように、映画のバックにある韓国社会のことや文化のことを解説した本で、見ていない映画も、いったんそれを離れて、読める。

私が見たことがある映画でいえば『82年生まれ、キム・ジヨン』『JSA』『タクシー運転手 約束は海を超えて』『SKYキャッスル』だけなので、普通なら、読んでもわけがわからなくて面白くないはずだが、そうでもなかった。

ただほぼ毎日韓国ドラマを見ているので、この本で取り上げられている韓国社会の諸問題については興味深く読めた。

いわゆる上流社会が頻繁に描かれるが、韓国では、李朝朝鮮の階級はいったん完全に解消されたから、現在の財閥はすべてそれ以降、とくに戦後のものであるという。現代やサムスンなどがそれにあたる。日本のように財閥解体といっても、実質上江戸時代からの三井だとか三菱なんかが残っているのとは違う。

それに政治的にも李朝とは完全に手を切ったので、そうした遺物はない。日本のように天皇制もないから、タブーのようなものがない。

ただたくさん韓国ドラマを見ていると分かってくることがあって、李朝朝鮮時代の宮廷での権力闘争―たいていは時期国王の継承をめぐる、王族内での親子や兄弟間、その周りにいる貴族や王族たちの血みどろの権力争いと同じ構図が、財閥の後継者争いにも描かれているということだ。

たとえば今見ている『復讐せよ』というドラマでもSB生命という財閥の会長であるキム会長とその娘のテオンが殺し合いをするというもの。本当にそんなことがあるのかどうかと思うのだが。

話は変わって「オッパ」という呼び方のいろんな意味、なんとなく感じていたことをわかりやすく説明してくれているので、勉強になった。韓国の男性にとって「オッパ」は日本語にはない男心をそそる言葉みたい。

似ているようで似ていない、似ていないようで似ている韓国社会、面白い。

この本のアマゾンのサイトへはこちらをクリック

『どうしてこうなっちゃったか』

2022年05月29日 | 評論
藤倉大『どうしてこうなっちゃったか』(幻冬舎、2022年)



1977年生まれで、15歳の1993年に単身イギリスに渡って、高校を卒業後、イギリスの名門音楽大学や音楽院で勉強し、いまや世界で活躍している作曲家のこれまでの回想録。

でもその日本人離れした世渡りは回想録なんて感じのものではなくて、面白いドラマでも見るような感じ。

ドーヴァー高校では、唯一作曲ができる(勉強している)ということで高校の音楽関係の部屋の鍵をジャラジャラ持ち歩いていたので、リーダー的生徒たちから彼らの秘密のデートの場として使われ、代わりに何かあると彼らに助けてもらったとか。

大学院進学にはぜひ来てくれという先方と奨学金の駆け引きをして、まんまと全額出させることになったとか。

とにかく日本人離れした(ってこれでニ回目)物怖じしない性格ゆえに、いろんな人々と友だちになって、いろんな困難や難題を乗り越えてきたという話を読んでいると、痛快を感じるのは私一人ではないだろう。

アマゾンへはこちらをクリック

『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』

2022年02月12日 | 評論
荒木優太編『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』(明石書店、2019年)

理系の研究は、研究室や資金を必要とする機器が必要なので、在野での研究というのは困難だが、文系の場合には書籍があればどこでもできるという敷居の低さがある。

とくに昨今のようなコンピュータを使って入力したり、電子化された文献をネット経由でダウンロードして読むということが可能になった時代では、さらに敷居が低くなった感がある。

在野とは何かとか、研究者とは何かとかいう議論は、私はあまり関心がない。大学等の研究機関の正社員であるかどうかなんか、研究者であるかどうかとまったく関係ない。

なぜなら大学の専任教員と言っても、生涯に何冊もの優れた著書を出している人もいれば、どうせ紀要論文なんて誰も読む人なんかいないとか言って、論文を書かない事実を「正当化」しているような人もいるので、論文というアウトプットをしている人を研究者と呼ぶという以外の議論をしても始まらないと思う。

本題に入れば、研究とまったく関係ない本職を持ちながら、同時に研究をするということの困難さは、何と言っても時間の困難さだろうと思う。

研究というもの、本気でやり始めたら、どれだけ時間があっても足りない。そしてその成果は必ずしも時間に比例するものではない。これは、時間をかけたからいいものが書けるという意味ではないが、時間を書けなければ充分なインプットができない。

したがって、こういう「在野」研究者の一番の問題は意欲の継続ということになるだろう。本職のほうで生活は事足りているのだから、もういいやとなって放り投げてしまう人も多々いるだろうと想像される。

しかしそこはやる気になれば解決する方策はいくらでもある。やはり一番いいのは研究仲間を作ること。研究会に参加したり、自分の研究情報をブログやホームページで発信して、日本全国、いや世界全体とつながるなどなど。

大学院を出たからといって、みんながみんな研究職につけるわけではないし、また大学人としてのひっかかりである非常勤講師になれるわけでないし(またなったとしてもそれで食えるわけではない)、やめてしまうひとが多数を占めているようだ。

それに奨学金だって、大学などの専任教員になれば返済免除という、理解できない制度になっている。専任教員になったら収入が保証されるのだから返済をさせろよ、正職につけない人には返済免除しろよ、と言いたい。

この本は第1章から第10章まで実際の「在野」研究者がどうしてその研究をするようになったかということを書いているので、まったく分野の違う人の話でも実に興味深い。

『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』へはこちらをクリック



『カミュ伝』

2022年01月30日 | 評論
中条省平『カミュ伝』(集英社インターナショナル新書、2021年)

コロナ・パンデミックが起きてから早くもまる2年がたった。同じようなパンデミックを描いていたということで、カミュの『ペスト』が脚光を浴びて、小説としての売れ行きもすごいという話だ。そして作家カミュも再び注目されるようになり、いろんな人がカミュについて書いている。

私の知る範囲で意外だったのは、このブログでもよく著作を取り上げている内田樹だ。まとまったものは読んでいないのだが、ツイッターを見ているとあちこちに書いているみたい。

そしてこれまた意外だったのが、映画評論家だと思っていた中条省平だ。この本のあとがきによれば、中学生の頃にカミュの『異邦人』を読んでハマり、いろいろ読んでいたという。そして、たまたまコロナの直前に『ペスト』を翻訳する機会があり、またNHKの100分で名著という番組で『ペスト』を話す機会があり、カミュの著作などを読み返したという。

そして書かれたのがこの『カミュ伝』なのだが、学生時代にカミュをやっていた私でさえも知らなかったことがたくさん書かれており、また知っていた地名や人名とカミュの関わりについて多くのことを学んだ。

ここまで書いて、私って学生の頃にカミュを勉強したにしては知らないことばかりだな、どうしてだろうと思い返してみると、勉強したと言っても、大学4年の夏休みくらいに卒論の論題を決めなければならない時期になってカミュの『異邦人』で書こうと決めて読み始め、大学院の修士論文を『ペスト』を中心にして書くまでの、わずか3年弱しか勉強していないのだから、そりゃ知らないことばかりだわなと、自覚した。

ただこの頃はまだカミュが人気があって、大学にカミュを研究している先生がいたということもあるだろうが、私の上に2人、下に1人カミュ専攻の大学院生がいたんだから、すごいことだ。以前にも書いたことがある、三野博司さんたちが中心になって関西を中心にカミュ研究会を作ったりしたのもこの頃の話だ。これは国際的なカミュ協会の日本支部になっている。

中条省平という人はたくさんの本を書いていることもあって、またカミュ愛が土台にあるからだと思うのだが、すごく的確にまとめてあるし、そのうえ文章が上手なので、読みやすい本だ。

評伝といえば、かつては西永良成の『評伝アルベール・カミュ』が最高峰だったが、1976年出版で、たぶんもう絶版になっているだろうから、現在ではこれが一番お勧めの評伝ではないかと思う。

もっと詳しくカミュの作品を知りたいという人は三野博司『カミュを読む 評伝と全作品』(大修館書店、2016年)もいいと思う。

『カミュ伝 』へはこちらをクリック