仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

音とことばのふしぎな世界

2020年09月01日 | 日記
『音とことばのふしぎな世界――メイド声から英語の達人まで』 (岩波科学ライブラリー・2015/11/6・川原 繁人著)、近隣センターの図書館の棚にあった本です。この本で音声学という学問領域があることを初めて知りました。

本書は次のような文章から始まります。

現代言語学では,「音自体には意味がない」ということが人間言語の原則の1つであるとされてきました。たとえば,[r]という音そのものには意味がない」ということです(音を表すときには囗で囲むことが言語学の約束ごとになっています).また,「音と意味のつながりは恣意的である」と言われたりもします。‘現代言語学の父”と呼ばれるフェルディナン・ド・ソシュールはこの点をかなり明確に打ち出し,この[意味と音のつながりの恣意性]の原理は,現代言語学ではほぼ当然のこととして受け止められてきました。
 しかし果たして,本当にそうでしょうか? 先ほどの例のように音そのものに意味があるのではないかと思われる現象が,実際には多く見られます。音声学では,このような音から意味の連想が直接起きる現象を「音象徴」と呼び,音から連想されるイメージのパターンを[音象徴パターン]と呼びます。

[a]は大きくて [i] は小さい?
 音象徴の研究の歴史は,実にとても古いものです。紀元前5世紀の哲学者であるプラトンは,『クラテュロス』という対話鐺の中で,音象徴について議論しています。音と意味のつながりというものは,なんと古代ギリシヤ時代からの問題なのです! しかし,本格的に音象徴の研究が始まったのは,クラテュロスの時代からはるか後の20世紀,エドワード・サピアの1929年の論文からです。
 このサピアの論文では,次のような実験が報告されています。みなさんも一緒に考えてみてください。とある未知の言語では,図11のような「小さなテーブル」と「大きなテーブル」を表す単語が別々に存在するとします.その2つの単語とは[mal]と[mjl]なのですが,みなさんは,どちらの単語がどちらのテーブルを表すと思いますか?
 どうですか?「[mal]のほうが大きいテーブルを指す」と思っだ人が多いのではないでしょうか。サピアの実験では,多くの英語話者が「[mal]=大きいテーブル」と答えました。サピアの実験では英語話者が対象となりましたが,後の実験で,日本人や韓国人,中国人でも「[a]が大きくて[i]が小さい」と考える人が多い,という結果が出ています.これは,多くの人が「[a]が大きくて[i]が小さい」という感覚を持っている。ということです。(以上)

「ゴジラ」が「コシラ」だったら?
 次に,最初にお話しした「ゴジラ」という名前について考えてみましょう。もし「ゴジラ」が濁点なしの「コシラ」だったらどうでしょうか。あの大きな怪獣にはふさわしくない名前のように感じませんか? なんだか小さいような弱いような感じがしてしまうと思います。同じように,「ガンダム」が[カンタム]だったらどうでしょう。これまた急に小さく,弱々しくなったように感じませんか?
 実は,あの「ゴジラ」という名前は,「ゴリラ」の「ゴ」と「クジラ」の「ジラ」をとったものです。ですから,あの怪獣の名前は,原理上は「クジラ」の「ク」と「ゴリラ」の「リラ」を合わせた「クリラ」でもよかったわけです。でも,「クリラ」だと,なんだか強そうな感じがしませんね。どちらかというと,[クリラちゃん]という小さな女の子の名前のようです.どう考えても,あの怪物の名前にはふさわしくありません。
 では,「ゴジラ」と「クリラ」の違いはどこにあるのでしょうか? やはり「ゴジ」の部分ではないでしょうか。この2文字には濁点が付いています。「ゴジラ」が大きくて強そうなのは,この濁点のせいかもしれません。みなさんの知っている悪者や怪獸り名前も思い浮かべてみてください.もしや,濁音が多く含まれていませんか? それらの名前から濁点をとってみたら,どのようなイメージになってしまうでしょうか?
 「ゴジラ」や「ガンダム」以外でも,日本語の他の語彙を見ると,やはり濁音には「大きくて,力強い」というイメージ,つまり音象徴パターンがあるようです。さらには,この「濁音=大きい」という音象徴パターンは,濁音を持つ他の言語の話者でも観察されることが,研究の結果わかっています。この音象徴パターンが生まれた理由も,先ほど触れた「[a]=大きい」という音象徴パターンと同じく,音声学的に説明することができます。


「音自体に意味がある」、阻害音(濁音のつく音)には、「男らしいイメージ」があり、男性の名前にも濁音がよく見られる(例:ゆうじ・しげと)。

音象徴とは、「音声」とその音声を発音したときに得られる「イメージ」の関係を分析し、ことばのネーミングのルーツをたどることさえできるユニークな考え方です。人間が言語音に対して本来的に持っているイメージにメスを入れることで、ことばを心理学的、考古学的に探求することさえできます。(以上)

『玄奘三蔵』(中国制作)というビデオ映画を見ていたら、阿弥陀仏を「アミダーバ」を発音していました。アミダは「アミターバ」(無量光)と「アミターユス」(無量寿)がありますが、やはり「アミターバ」の方が、濁音が入っていて力強く感じられます。音象徴に基づいた面もあるのかも知れません。
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