仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

光 風のごとく24

2012年04月13日 | 日記
拙著『光 風のごとく』より2題


美しき裸形(らぎょう)の身にも心にも幾重(いくえ)かさねしいつわりの衣(きぬ)

[九条武子]歌集『白孔雀』より。

どんなときも裸で暮らすことができたら、どんなに素晴らしいだろう。しかし実際には、人は社会の奴隷のように従い、自分を飾り自分を偽り正当化しようと背伸びもする。
この歌からは、そのいつわりの衣を否定も肯定もせず、すなおに頭を下げている姿が伝わってくる。そこに作者の偽りのない裸形があり、裸形の美しさがある。


見えないところで 
 つながりあって 
 生きているのは 
 竹だけではない

 [東井義雄]『仏の声を聞く』(探求社刊)より。

この歌を、心の中で口ずさんでいると、地の下を見ず上ばかりを見て、自分の都合の良い方向ばかりに願いを掛けている自分が思われてくる。
 自分が損をしたとき、得をした人のことを喜べたらどんなに豊かだろう。
 自分が悲しいとき、この悲しみの体験を多く人たちが体験していたことに心を振り向けられたら、どんなにか豊かだろう
 すべてがつながっているのに、その事実に気づこうとしない親玉を、「私」と言うのかも知れません。
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