仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

おくりびと

2009年02月26日 | 浄土真宗とは?
おくりびとの映画賞受賞で葬儀も、新しい意味付けがされるといいのですが。
昨日の読売新聞に下記の投稿が載っていました。

「おくりびと」見て受け入れた父の死
主婦 原 裕美 42     (神奈川県葉山町)  
 第81回米アカデミー賞で滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国語映画賞を受賞した。      
 私がこの映画を見たのは、父の葬儀から一週間後のことだった。父の死を受け入れることのできなかった私は、次第にかたくなな心が揺らいでいくのを感じた。父の納棺の際、納棺師の方々は心を尽くして、父の「旅支度」をしてくれたのだと映画を見て、改めて実感したのだった。死者を悼み、死という悲しい事実を残された家族らにきちんと受け止めさせ今後を導いていく案内人が納棺師なのかも知れない。
「おくりびと」は誠実な人々によって粛々と作られたのだろう。そのことが見ている者に伝わる映画だっ
 た。老若を問わず、たくさんの人に見ていただきたいと思う。
 (21.3.24読売)

仏教の考え方は、私を中心とした縁起にたっています。上記の投稿者の上でいえば、ひとりの女性の上に起った父親と死別した悲しみを解決させるために、時間をさかのぼって「おくりびと」という映画をみんなで創り、映画を見せるという時間をつくるために周りの者が協力して彼女に映画を見せた。そうした大掛かりな企てによって彼女の上に「父の死を受け入れる」という心が発起した。これは空想ではなく事実です。

話の筋が変わりますが、新宗教はこの手を意識的に使っています。それがマインドコントロールです。各家庭にエホバの証人の勧誘が来ることがあります。あれは伝道しているのですが、本当のねらいは、新人と古参がペアーになって徘徊し、新人の上に教えを刷り込んでいくことが狙いです。そして運悪く教団に共鳴する人があると、人を教えに導いたという足かせが教団の決別心をそぎ落としていくのです。

いい意味では阿弥陀如来もこの手を使ったと親鸞聖人のご和讃にあります。
釈迦・弥陀は慈悲の父母
 種々に善巧方便し
 われらが無上の信心を
 発起せしめたまひけり

仏説観無量寿経の韋提希のドラマも私の上に無上の信心を起こすための仕掛けであったとこれまたご和讃や本典の総序にあります。
  


コメント
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