明治時代の成立には、やはり、イギリスのバックアップがあったようだ、長州・薩摩は山口県に鹿児島県、今でも田舎だ、百数十年前は、どうだったか、徳川政権の出自には問題が無いわけではないが、江戸の町人文化は室町に通じるものがあり、かなりの水準をキープしていた。
なんとも洒落(しゃれ)て粋(いき)でヨーロッパの画家を驚かせた、これをぶっこわしたのが田舎もんの集団、それが明治の政府だろう。
彼ら、日本という利権をものにしようと様々の画策をしたが、その最大が古色蒼然たる天皇を担ぎ出したことであり、この陰でさまざまの仕掛けをした、役人が多くさまざまの既得権を握っているのもそのひとつで、人口問題では、
「人口が減少すると 役人を減らさなければいけない」
「それが 問題なのだ」
あきれた意見ではないか、なんのための公務か、だれのための役人か。
21世紀のニッポンには、そんなモンダイが残存している、ところで落語だが、あれは江戸っ子がやるからいいのであり、地方出身には遠慮してもらいたい、ちゃんちゃらおかしくて、
「おヘソが 茶をわかす」
室町の到達した抽象世界に比べると織田・豊臣・徳川は野蛮人の集団であり、明治政府は、もっとひどい。