男装の麗人の伝統は宝塚に結実しているのかもしれない。ともあれ室町の時代はニヒルでデカダン、乱雑な社会であり、将軍が美少年を追いかけ回し、荒くれ男がコーモンをつつく、あげくは、
「オトコだとおもったら オンナだった」
具体的現実の不毛と虚無、だからこそ抽象的世界への憧憬が育(はぐく)まれたのだ、つまり「永遠や絶対」である、今の日本でも機械的反射の感覚的生活だけの人々が多い、進歩していないのかもしれない。
500年前、この列島には、それとは違ったモノを求める運動があった、その成果が能や枯山水、日本の文化は、ここでトップに立ったのかもしれない、奈良・平安・室町はホップ・ステップ・ジャンプ、いいところまで行った。
その寄り戻しが、織田・豊臣・徳川の時代か、さて、明治は、どう位置づけるべきか。