The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

My green ageー3枚の絵ー 下

2016-10-27 03:37:36 | 世界経済

When I was 5 or 6 years old, I used to play with my friend, his name was " Take chan ".
And every morning, my father recited a Lotus sutra, one day I asked to him,
" Why do you call the name of my friend ? "    
It was " Ho-jyu-ta-ke-ka ".
He answered it with laughing,
" It is a sutra. "

The phrase of a Lotus sutra was heard for me like the name of Takechan.
        
 楽しい思い出がある、初めての友だちが「タケちゃん」で、毎日のように、
 「まーことちゃん あそびましょー」

 また、朝七時になると荒々しい読経の声がした、父親の法華経だ、ある日、わたしは、
 「どうして タケちゃんの名前をいうの」
 「・・・」
 「お経のなかで タケちゃんっていうじゃあないの」
 大人たちは、大笑い、まだ若かった父親は、
 「それは ホージュー タケカー (宝樹多華果 -如来寿量品第16-)」

 この「タケカー」がタケちゃんに聞こえた、法華経は母親のお腹の中にいる時から聞いていたことになる、だから禅宗の宗風とは違うはずだ、あの大学院でも見破っていたものがいたかもしれない。

 思うことがあり他宗の大学院に入学したのだが、母親は何も言わずに入学金の半分を出してくれた、そして、父親は、
 「キミは いつも 困難な方 困難な方に行くんだね」

 あの情熱と勇気、そして青春の哀しみが蘇えってきた。