心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

心の臨床哲学の可能性

2019-01-12 07:56:31 | 備忘録

心の哲学と臨床哲学を合わせて「心の臨床哲学」というものを造れないだろうか。

心の哲学は現代英米において主流をなしている哲学の一大潮流である。

それは一世代前の分析哲学を心身問題の方向で深めたもので、心の概念を脳科学(神経科学と認知科学)と対話しつつ分析している。

しかし、その方法は分析哲学と違って、単に言語使用の規則や概念分析や論理的議論に尽きるものではなく、心と身体、心と脳の関係を事実性の次元に置いて解明しようとする点に特徴がある。

ところで、臨床哲学とは臨床医学や生命倫理と対話しつつ、人間の心と生命の意味を考えようとするもので、基本的に人間学的である。

それゆえ、臨床哲学は分析哲学よりは実存哲学や現象学と親近性がある。

人間の心をテーマとする点で心の哲学と臨床哲学は接点をもっているが、方法という点では乖離している。

過去の哲学者で心の哲学と臨床哲学の両要素をもち、この二つを統合するような思索をしていた人というとジェームズやメルロ=ポンティを思い出す。

ただしこの二人には分析哲学的な心の哲学の資質がない。

そこで、パットナムなどの思想を加味して、新たな心の臨床哲学を構築することが求められる。

とにかく、心の臨床哲学は心の諸科学(神経科学、認知科学、精神医学、臨床心理学)と対話しつつ、心身問題と心脳問題を考究していかなければならない。

その際、生命の本質へと食い入るまなざしが要求される。

私自身、数年後に『心の臨床哲学』という本を書こうと思っているのだが、このブログはそのための覚書という性格をもっている。

文学者の病跡の話題もそれに含まれる。

英米の分析哲学経由の心の哲学、実存哲学と現象学の影響を受けた臨床哲学、さらに心の諸科学、これらをすべて取り入れて、総合的な心の臨床哲学を構築しようと思っている。

ちなみに、一般市民の闘病記も参考になる。

それテーマとしたブログも多数存在する。

病に苦しむ人と心の本質に科学的にアプローチする人双方に興味がもてるような心の哲学を構築したいものである。

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