(1)26年前のチェルノブイリ原発事故の時には東南アジアを挟んでの当時のソ連大陸のことだったので、どうでしょうか、日本国民にも今ほどの原発不信、危機感は及ぼさなかったのはその後の日本人が狭い国土に54基もの逃げ場もないほどの全国に原発をつくり続けたのを、経済効率と環境適応の先端的時代の要請に流されて一種高揚感もあって見過ごしてきたことからもわかる。
技術立国日本への自負、自信、日本だけはちょっと違うぞというミスリード(miss lead)の高揚感があったのだろう。
今にして思えば、チェルノブイリ原発事故の時に世界が現在のように原発危機意識を共有すべきだったのだが、当時冷戦時代の対立構図を引きずった国際政治の中でソ連と西側の危機意識、情報共有も難しい状況であったことも世界には不幸だった。その結果が今となっては取り返しのつかない福島原発事故の収束視界不良だ。
(2)そういう歴史的反省、検証もないままに、まして福島原発事故の分析、検証にもとづく原発安全対策基準もない中、脱原発なのか縮原発なのか原発再稼働なのか政府の方針も不明確、不明瞭の中で政府は取ってつけた付け焼き刃の安全基準の確認だけで福井県大飯原発の再稼働を決定し、経産相が福井県に再稼働を要請した。
千年に一度の大震災といわれて、事故はそう起こるものではないとでも思っているのか、一旦起きればチェルノブイリ原発事故収束もいまだ継続中で、福島原発事故も半永久的な安全対策が必要な危機的状況だ。
ドイツはこれを受けて脱原発に完全シフトしたし、原発再稼働はそう簡単な論理、話ではない。
(3)仮に将来にわたって自然再生可能エネルギーにシフトして電力事情をまかなえるとしても、54基もの原発施設の安全最終処理、処分をどうするのか重い課題も抱える。
なにしろ半永久的な完全最終処理体制が必要でその核燃料再処理施設の場所の問題もあり、また仮に跡地利用も放射性物質の影響度を考えればスンナリとはいかないだろう。
政治は系統的に順序立てて長期展望、視野に立った原発問題、体制の将来にわたっての政策シナリオ、立案、設計を示す政治責任、説明責任がある。
(4)政治、政策のパラダイム(paradigm)の中で、今の民主党政権は余りに「場当たり的」対応が目立ち、すべてに基準(standard)がない漂流政治(drifting politics)の不安定さだ。
09年9月の本格的政権交代の高揚感はその後3年間の民主党政権自らの手による崩落劇で跡形もない。最早、民主党政権に長期的視野、展望に立った政治主導をまかせれる政治能力はない。大阪維新の会は政府の原発再稼働方針を受けて、民主党と全面対決の方針を決めた。
(5)①安定エネルギー社会、②完全最終処理を含めた原発、③累積赤字の財政、財源問題に対する明確な工程表のある政策シナリオ、政策プランニングが避けて通れない対立軸だ。
場当たり政治では次世代社会に政治財産を引き継ぐことなど出来ないのだから、即刻退場すべきだ。
脱原発、縮原発なら54基の原発施設の完全な安定最終処理、処分をどうするのか、原発再稼働なら稼働安全性をどう保障するのか、今のような場当たりでない長期的視野、展望に立った「度量(magnanimity)」が試される政治だ。
大阪維新の会はそれなりに歯切れのいい過激な動向が注目、支持を集めているが、まだまだ高い見識と視野と度量を持つ政治力(politics power of graceful opinion , vision , magnanimity)の台頭に期待すべきだ。
技術立国日本への自負、自信、日本だけはちょっと違うぞというミスリード(miss lead)の高揚感があったのだろう。
今にして思えば、チェルノブイリ原発事故の時に世界が現在のように原発危機意識を共有すべきだったのだが、当時冷戦時代の対立構図を引きずった国際政治の中でソ連と西側の危機意識、情報共有も難しい状況であったことも世界には不幸だった。その結果が今となっては取り返しのつかない福島原発事故の収束視界不良だ。
(2)そういう歴史的反省、検証もないままに、まして福島原発事故の分析、検証にもとづく原発安全対策基準もない中、脱原発なのか縮原発なのか原発再稼働なのか政府の方針も不明確、不明瞭の中で政府は取ってつけた付け焼き刃の安全基準の確認だけで福井県大飯原発の再稼働を決定し、経産相が福井県に再稼働を要請した。
千年に一度の大震災といわれて、事故はそう起こるものではないとでも思っているのか、一旦起きればチェルノブイリ原発事故収束もいまだ継続中で、福島原発事故も半永久的な安全対策が必要な危機的状況だ。
ドイツはこれを受けて脱原発に完全シフトしたし、原発再稼働はそう簡単な論理、話ではない。
(3)仮に将来にわたって自然再生可能エネルギーにシフトして電力事情をまかなえるとしても、54基もの原発施設の安全最終処理、処分をどうするのか重い課題も抱える。
なにしろ半永久的な完全最終処理体制が必要でその核燃料再処理施設の場所の問題もあり、また仮に跡地利用も放射性物質の影響度を考えればスンナリとはいかないだろう。
政治は系統的に順序立てて長期展望、視野に立った原発問題、体制の将来にわたっての政策シナリオ、立案、設計を示す政治責任、説明責任がある。
(4)政治、政策のパラダイム(paradigm)の中で、今の民主党政権は余りに「場当たり的」対応が目立ち、すべてに基準(standard)がない漂流政治(drifting politics)の不安定さだ。
09年9月の本格的政権交代の高揚感はその後3年間の民主党政権自らの手による崩落劇で跡形もない。最早、民主党政権に長期的視野、展望に立った政治主導をまかせれる政治能力はない。大阪維新の会は政府の原発再稼働方針を受けて、民主党と全面対決の方針を決めた。
(5)①安定エネルギー社会、②完全最終処理を含めた原発、③累積赤字の財政、財源問題に対する明確な工程表のある政策シナリオ、政策プランニングが避けて通れない対立軸だ。
場当たり政治では次世代社会に政治財産を引き継ぐことなど出来ないのだから、即刻退場すべきだ。
脱原発、縮原発なら54基の原発施設の完全な安定最終処理、処分をどうするのか、原発再稼働なら稼働安全性をどう保障するのか、今のような場当たりでない長期的視野、展望に立った「度量(magnanimity)」が試される政治だ。
大阪維新の会はそれなりに歯切れのいい過激な動向が注目、支持を集めているが、まだまだ高い見識と視野と度量を持つ政治力(politics power of graceful opinion , vision , magnanimity)の台頭に期待すべきだ。