(1)「戦後70年談話」(speech of postwar 70 years)発表で、いつまで謝罪と反省を示さなければならないのか、はたまたここで未来志向(aimed at the next world)を強調して述べることが趣旨、性質上ふさわしいのかのジレンマ(dilemma)が続く。
戦後半世紀を経て当時の村山首相が「戦後50年談話」で、首相としてはじめて過去のアジア植民地占領支配に対しておわびと反省を示したのは、時宜にかなったものでよかったのではないのか。
その後10年間隔で小泉首相が村山談話の精神を踏襲した「戦後60年談話」を発表したのは目的も意味も意義もよくわからずに、その流れで今回安倍首相が今夏に「戦後70年談話」を発表する。
(2)安倍首相の「戦後70年談話」発表は、歴史認識問題で中国、韓国から反省と責任を強く求められている外交あつれきの時代にあっては方法論(methodology)としては政府見解の機会として時宜にかなったもので、もちろん同盟国米国、EUを含めて国際的な関心も高い。
安倍政権が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、安保法制案を国会に提出し審議をはじめる政治状況のなかでは、なおさらに「戦後70年談話」の意味、意義は大きい時代背景はある。
(3)安倍首相の有識者私的諮問機関「21世紀構想懇談会」が安倍首相の「戦後70年談話」の骨格方向性に向けての協議を続けている。直接談話に反映、影響を与えるものではないとのふれこみではあるが、諮問機関の性質上そうはならないだろう。
同懇談会の西室座長が中間コメントとして「いたずらに謝罪することを基調にするよりは、未来志向を決して崩さず歴史認識をどう説明するのかを真剣に考える」(報道)と話した。政府からも漏れてくるのも「謝罪よりは未来志向」だとの声だ。
安倍首相が4月末の訪米で米国上下両院合同会議で演説したのも同様の趣旨で、さっそく韓国からは歴史認識への明確な謝罪がなかったと批判の声も出ている。
(4)アジア発展のためには日本、中国、韓国が相互に協力しあう必要性の未来志向を基調に「戦後70年談話」で述べてみたところで、戦後70年談話としての意味も意義も曖昧模糊で焦点ずらし、隠しにしか見られないだろう。
「戦後50年談話」の意味、意義に引き続き「戦後70年談話」の必要性を自らの政治状況でつくり出した安倍首相としては、歴史認識問題への総括(summarization)、総評が求められるもので避けて通ることは問題をさらにこじらせるだけだ。
(5)作家の村上春樹さんは、大筋で旧日本軍によるアジア植民地占領支配で関係国に被害を与えたことは間違いのないところで、もう謝るしかない、謝って、謝って、そこまで言うんなら許してもいいと相手国が言うまで謝るしかない(報道特集)と言っている。
今夏の「戦後70年談話」は、そろそろ歴史認識問題に決着をつけるぐらいの総括、総評でなければ世界からの安倍政治のナショナリズム台頭の懸念に答えることにはならないだろう。まさか「戦後100年談話」まで持っていく訳にもいかない。
(6)日本の世界大戦の「検証」は天皇戦争責任論の微妙な問題も抱えて、真正面から対峙されてこなかった。
日本の世界大戦の検証をないがしろにして、反省と責任を「未来志向」でカムフラージュしてみせても自己満足(self satisfaction)だけのことで、中国、韓国さらに米国の懸念を払しょくすることにはならない。
戦後半世紀を経て当時の村山首相が「戦後50年談話」で、首相としてはじめて過去のアジア植民地占領支配に対しておわびと反省を示したのは、時宜にかなったものでよかったのではないのか。
その後10年間隔で小泉首相が村山談話の精神を踏襲した「戦後60年談話」を発表したのは目的も意味も意義もよくわからずに、その流れで今回安倍首相が今夏に「戦後70年談話」を発表する。
(2)安倍首相の「戦後70年談話」発表は、歴史認識問題で中国、韓国から反省と責任を強く求められている外交あつれきの時代にあっては方法論(methodology)としては政府見解の機会として時宜にかなったもので、もちろん同盟国米国、EUを含めて国際的な関心も高い。
安倍政権が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、安保法制案を国会に提出し審議をはじめる政治状況のなかでは、なおさらに「戦後70年談話」の意味、意義は大きい時代背景はある。
(3)安倍首相の有識者私的諮問機関「21世紀構想懇談会」が安倍首相の「戦後70年談話」の骨格方向性に向けての協議を続けている。直接談話に反映、影響を与えるものではないとのふれこみではあるが、諮問機関の性質上そうはならないだろう。
同懇談会の西室座長が中間コメントとして「いたずらに謝罪することを基調にするよりは、未来志向を決して崩さず歴史認識をどう説明するのかを真剣に考える」(報道)と話した。政府からも漏れてくるのも「謝罪よりは未来志向」だとの声だ。
安倍首相が4月末の訪米で米国上下両院合同会議で演説したのも同様の趣旨で、さっそく韓国からは歴史認識への明確な謝罪がなかったと批判の声も出ている。
(4)アジア発展のためには日本、中国、韓国が相互に協力しあう必要性の未来志向を基調に「戦後70年談話」で述べてみたところで、戦後70年談話としての意味も意義も曖昧模糊で焦点ずらし、隠しにしか見られないだろう。
「戦後50年談話」の意味、意義に引き続き「戦後70年談話」の必要性を自らの政治状況でつくり出した安倍首相としては、歴史認識問題への総括(summarization)、総評が求められるもので避けて通ることは問題をさらにこじらせるだけだ。
(5)作家の村上春樹さんは、大筋で旧日本軍によるアジア植民地占領支配で関係国に被害を与えたことは間違いのないところで、もう謝るしかない、謝って、謝って、そこまで言うんなら許してもいいと相手国が言うまで謝るしかない(報道特集)と言っている。
今夏の「戦後70年談話」は、そろそろ歴史認識問題に決着をつけるぐらいの総括、総評でなければ世界からの安倍政治のナショナリズム台頭の懸念に答えることにはならないだろう。まさか「戦後100年談話」まで持っていく訳にもいかない。
(6)日本の世界大戦の「検証」は天皇戦争責任論の微妙な問題も抱えて、真正面から対峙されてこなかった。
日本の世界大戦の検証をないがしろにして、反省と責任を「未来志向」でカムフラージュしてみせても自己満足(self satisfaction)だけのことで、中国、韓国さらに米国の懸念を払しょくすることにはならない。