いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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東電社員への避難賠償金。 compensation of refuge for own the staff

2014-01-06 19:50:25 | 日記
 (1)東電は福島第一原発事故の復旧、賠償責任で自己資本に欠き、国から数兆円にも及ぶ支援を受けて実質国有化状況にある。
 東電の原発事故責任は執行役員だけのものでもなく、東電企業組織上げての全体責任を負うものであることは自明だ。

 東電の福島原発に働く社員も一般被災者と同じく等しく原発事故の影響を受けて、放射線量の高い帰宅困難地域からの避難撤去に迫られ転居生活をしている。
 東電は国の方針にもとづく賠償支援機構が示した賠償基準により被災避難地域の東電社員にも同様の原発事故の精神的損害や一時帰宅費用などの賠償金(compensation)を支払っていたが、ここにきて社員と家族に避難賠償金の返還を求めている。
 東電が一般被災者と同じく等しく社員にも避難賠償金を支払っていたことは心情的(sympathy)にも驚くべきことだ。

 (2)東電社員は、原発、電力事業を推進、展開するために対価としての手当(給料ほか)を支給されている。社員は東電の総事業収入から規定による相応の利益配分を受けるもので、企業組織一体論から身分、生活、家族保障は東電事業体が責任を負うものだ。

 福島原発で働く東電社員も同原発事故の被災者、被害者であることは間違いないが、事業責任、事故責任、賠償責任もまた東電一体となって負う立場の中にある。
 東電福島第一原発事故により被災、被害を受けた一般住民と同じく等しく、給料ほか生活保障以外に賠償金を支給されることには概念上も心情的にも違和感がある。

 (3)すでに東電には国民の投資(税)から数兆円の支援がなされているので、東電社員の手当保障、被災保障責任は東電企業責任として自社内責任で対応すべきことだといっても、すでに国民の投資で負担されているとなると致し方のないところだが、論理的には事故責任主体の責任転嫁でおかしなことだ。

 将来的には企業業績が回復すれば国に返還されるものとしても、原発事故の共同責任の立場にある同社員の賠償金にまで支払われているとなると筋道が違うのではないのかとなる。

 (4)専門家は東電社員(家族を含めて)は原発事故の加害者ではなく、一般の被災者と差をつける理屈はない(報道)と述べているが、震災原発事故を予測し、予見し適切な安全準備、対応を怠ってきた企業責任の原動力は東電の企業体にあり、構成員の社員にもあるというのが自然だ。

 一般住民の被災者と区別して加害責任者の一翼を担う社員として、東電社内で独自に対応、対策すべきことだ。企業活動の本質を法人と社員を区別するような論理展開は、企業責任を都合よくあいまいにするものだ。

 (5)社員として所属する企業の事業に等しく「責任」を自覚し、所有、共有することは、その結果としての「対価」もまた等しく共有することで報(むく)われるものだ。被害責任だけは回避されるというものでもない。

 東電社員(家族も含めて)が東電事業体から身分ほか保障されている以上、その被災者といえども一般被災者と区別されるのは心情的にも致し方のないところだ。企業責任、事業者責任とは本来そういうものだ。
 ただし、東電の賠償金支給時の国の方針に問題があり、この期に及んでの東電の社員への多額の賠償金の返還請求などは現実的解決ではない。

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