いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

本当のダメージ。(教訓) genuine damage

2011-06-16 19:28:42 | 日記
 (1)原発、原発事故で最も「危険」なところは、原発の恐ろしさを一番熟知している専門家集団、原発事業者がその事実を隠してまたは改ざんしてまで原発を推進しようという「判断力」だ。

 それは国の内外を問わないので、ようやく原発の国際安全基準の策定の動きも背に腹を変えられずに出てきた。が、これも各国の思惑、国内事情もあって、整合性のあるパラダイム(paradigm)としての安全基準にはならずに、結局はそれぞれの国内判断にまかせられるという、いつもの国際政治ルールの相互不干渉、寛容な決着となりそうだ。
 ドイツではすでに脱原発にシフトし、イタリアも先の国民投票での圧倒的支持で脱原発を表明した。

 (2)福島原発事故現場では、高濃度の放射性物質を含む汚染水の処理が続くが、今度は汚染水処理後の大量の放射性「汚泥」が発生し、この処理は東電の原発収束工程表からはすっぽり漏れていたことがわかった。
 原発事業の専門性、科学性、安全性もこの「程度」かと思うと、それでも原発必要論が首相、関係者から出てくる背景はまったく理解されずに説得力を持たない。

 専門性、科学性、安全性の「無策」と引き替えの、パラドックス(paradox)としての電力供給事情の安定プライオウリティ(priority)の不幸な錯誤だ。
 経済成長、社会の多様性偏重の流れの中で、あえて無責任に意図的に万が一にもないはずと見過ごされてきた「安全」だ。
 結果としての1000年に一度と言われる自然破壊の脅威だった。

 (3)原発の恐ろしさを一番熟知している専門家集団のチェック体制が機能していなかった。経産省の原子力安全・保安院が所管する原発検査機関の原子力安全基盤機構が、08年の福島原発の検査チェックで東電の言いなりになって(検査ミスは、その後東電からの指摘で発覚するという不可思議)、あるいは遠慮して「慣れ合い」、形がい化の検査チェックで、結果として重大ミス(圧力容器安全弁機能不足)を発見できずにこれが今回の原発事故の拡大につながった要因につながるひとつとも見られている。

 社会にまん延した慣れ合い、形がい化体質とはいえ、原発の恐ろしさを一番熟知している専門家集団・社会での不十分な安易な検査チェック体制には、国民の安全、生命、人権に事業者として、検査機関として将来にわたって責任を持つ当然あるべき自覚の欠如の大きさに驚くばかりだ。

 (4)復旧、復興のための補正予算、財源に充当する赤字国債発行(特例公債法)、復興債発行(所得、法人税増税充当方針)と、原発事故の不透明な収束(来年1月目途の工程表)後も建屋カバーリングによる放射性物質の封じ込め、電力供給不足、年金財源の切り崩し「後遺症」は、来年度以降に国民生活に「本当のダメージ(genuine damage)」を増幅して「課題」を突きつけてくる。

 政府、政治はあらゆる情報、シミュレーション(simulation)を開示して、国民生活への「本当のダメージ」と回復策の指針、工程表を公開して、国民「共有化」をはからなければならない。

 ダメージの恐ろしさを一番よく熟知している、仕掛けの政府、政治が慣れ合いで意図的にこれらを先送りして、見過ごして、行き詰まってからの国民の過度の負担、投資を強いることの愚かさを繰り返してはならない。
 これがせめてもの原発事故の不始末、てん末からの教訓だ。

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