いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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終戦記念日を考える。 we think about the war's end memorial day

2016-08-15 20:01:22 | 日記
 (1)8月15日はお盆の最終日であり、明日は御霊(みたま)が帰るということで京都では五山の送り火(大文字焼き)が焚(た)かれる。
 71年前の8月15日は、6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されて昭和天皇が戦争の終結(敗戦)を決めて国民に伝えた日だ。

 8月15日が戦争状況判断において時系列的にどういう巡り合わせの日であったのかわからないが、日本ではお盆の霊をなぐさめる夏の日であり、それがどう影響したのか偶然なのか、重なりあう終戦の日であった。

 (2)ところで8月6日は広島原爆の日、9日は長崎原爆の日だが、8月15日は終戦記念日(the war's end memorial day)だ。
 原爆記念日などはもちろんあり得ないが、終戦記念日もあまり言い得ていない。

 政府公報では8月15日終戦記念日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」とある。

 (3)終戦「祈念」日ということの方がまだ理解しやすい表現だ。終戦は、戦争でこれ以上国民を直接犠牲にしてまで相手国戦局有利の中で、戦いを挑むことが無意味として判断(国体再生の可能性を残す判断)されるもので、それはよくいわれる終わりの始まりでもある。

 日本は1945年の敗戦後、平和憲法制定により米軍占領下、旧ソ連による北方4島併合を経て、72年沖縄返還、高度経済成長時代の活力、復興経済の中で、一時的にGDP世界第2の経済国としてG7主要国メンバーとしての現在がある。

 (4)その終わりの始まりが8月15日の終戦記念日だ。終戦の日でもよかったが、今でもこの日に何を「記念」する日なのかわからない。
 天皇を国体の統帥権者(軍隊を指揮)としてその権限、権能から終戦を決めた昭和天皇判断を尊重、記念する日なのか、あきらかに劣勢の戦局の中で一部軍部の戦争継続を抑えて終戦を宣言した昭和天皇の英断を記念する日なのか、とにかく原爆投下を受けて国土、国民に甚大な被害を受けた戦争をよくぞ止めてくれた記念の日というべきなのか「戦争記念日」の指し示すところがわからない。

 (5)戦争は始めるのは簡単だが、終えることは非常にむずかしいといわれてきた。その非常にむずかしい終戦を時期の適不適はいろいろあるが昭和天皇が決断したこと、英断したことを記念すべきなのか、やはり「記念」という概念にはそぐわない。

 平和とは戦争のない状態をいう。そういう意味では政府公報にもあるように「平和を祈念する日」としての根拠としての調和(symmetry)、相乗効果(synergy)の終戦記念日ということが考えられる。

 (6)政府公報の趣旨にも沿えば「終戦による平和祈念の日」というところがふさわしい。終戦記念日の語彙(ごい)に違和感、ひっかかりがあって、今年も71年目の暑い夏を迎えた。

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