(1)長嶋茂雄さんが89才で肺炎で亡くなった。後年は脳梗塞を患って行動、言語に不自由していたとはいえ、「あの」長嶋さんのことだから今度は人生100年時代を象徴するように病気と闘い100才までは生きていくのではないのかと思っていた。
(2)肺炎で亡くなったとの発表だったが、財力のある長嶋さんが最高の治療、医療を受けることも可能だった。行動、言語が不自由な中で自らそういった存命医療をあえて受けなかったことはないのか、リハビリは真剣に取り組み(報道映像)同じ病状の人に勇気と希望を与えていただけに肺炎で亡くなったのは意外だった。
国民は長嶋さんに車いす生活でも姿をみせてくれることが「意味」があったが、特別行動力、発信力のあった本人は不自由に相当のプレッシャー、リスクはあったのではないかと察する。
(4)3日の長嶋茂雄さんの死亡ニュースで各地からの哀悼の言葉が伝えられた中で、中日ドラゴンズ井上一樹監督の言葉が印象的だった。長嶋さんは東京六大学野球本塁打8本の新記録(当時)で鳴り物入りで巨人軍に入団して、1年目に本塁打王、打点王を獲得してすでに巨人の主力中心選手だった。
(5)中日の当時井上選手は初めて長嶋選手と対戦した時に、長嶋選手を見て、そうかあれが長嶋(選手)かとのまばゆい印象を語っていた。
対戦したプロ野球選手すべてに共通する想いでもあったろうし、長嶋選手と早く対戦したい少年球児のような特別な気持ちが率直に伝わってくる言葉だった。
(6)グラウンドの長嶋選手の「背番号3」をスタンドから見てきた者にとって、目の前に巨人の背番号3がいるだけで一緒に闘っている思いにつながり、今でいえばメタバースの世界にいるような気持ちだ。
それは長嶋選手の後ろ姿ではなく、「あの」長嶋選手が前を向いているが立体的にそこにいる不思議な現実の世界だった。
(7)今プロ野球はドーム球場でグラウンドは科学的な輝くような明るいグリーンに覆われて美しいが、長嶋さんは「土」の整備されたグラウンドが球は取りやすく好きだと言っていたこともあり、黒ずんだ土のグラウンドに浮かび上がる「背番号3」が美しかった(‘ 3 ' of the number of the back had beauty)。