(1)黒川検事長の緊急事態宣言下での賭けマージャン事件は、今の政治状況をよくあらわしている。外出自粛の5月1日に黒川検事長が新聞記者宅を訪れ賭けマージャンをしていたものだが、通常考えられるのは新聞記者が取材のために黒川検事長宅を訪ねてどうこうしたというのが考えられるシナリオで、今回はその「逆」(up-side-down)をいく無礼講だった。
(2)検事長は事件の起訴を判断、決定する権限を有する責任者のひとり(検察No.2)であり、新聞記者はその事実を報道する役割、立場を有する国民の知る権利に応える情報供機関の人間だ。
検察は事件関係者を起訴して裁判で事実関係を立証する立場にあり、事前に事件情報が外部に漏れることは公判維持、立証に不利益になり、またその段階での起訴容疑者のプライバシー保護の責務があり大きな責任を持ち、情報収集の取材関係者とは慎重なつきあいになるのが普通だ。
(3)こういう立場の責任者にある検事長が国民の知る権利に応える新聞記者宅に自ら赴(おもむ)いて賭けマージャンをするなどとは、およそ職務機能上考えられない出来事だ。
これが逆であれば賭けマージャンの勧誘手法は違法で認められないものだが、新聞記者としては取材、情報収集のために検事長に近づくことは十分考えられる行動だ。
(4)このセオリーの逆をいく検事長から新聞記者宅を訪れ賭けマージャンをするというありえない非常識、不謹慎な立場をわきまえない行動だ。事態がことさら新型ウイルス感染流行拡大で緊急事態宣言が出され国民に外出自粛、休業要請をしているなかでの違法な無礼講であり、政治、政府権力者の国民主権者をあざむく、あるとすれば信頼、期待を裏切るいつわりの上塗りで日常の「本心」(true mind)が出たものといえる。国民主権者も検事長になめられたものだ。
(5)安倍首相は「首相として当然責任がある。批判は真摯に受け止めたい」(報道)と述べているが、言外には信頼回復のためにこれからも職責をまっとうして責任を果していきたいという常套句が隠れているのだろう。
安倍首相の言葉の軽さは以前からのものであり、政治家は同一だといえるが、一度ぐらいは当然ある「責任」を「真摯」に実行してもらいたいものだ。
(6)そうでなければ民主主義、国民主権が成り立たない、なりゆかない政治の堕落(degeneration)だ。
(2)検事長は事件の起訴を判断、決定する権限を有する責任者のひとり(検察No.2)であり、新聞記者はその事実を報道する役割、立場を有する国民の知る権利に応える情報供機関の人間だ。
検察は事件関係者を起訴して裁判で事実関係を立証する立場にあり、事前に事件情報が外部に漏れることは公判維持、立証に不利益になり、またその段階での起訴容疑者のプライバシー保護の責務があり大きな責任を持ち、情報収集の取材関係者とは慎重なつきあいになるのが普通だ。
(3)こういう立場の責任者にある検事長が国民の知る権利に応える新聞記者宅に自ら赴(おもむ)いて賭けマージャンをするなどとは、およそ職務機能上考えられない出来事だ。
これが逆であれば賭けマージャンの勧誘手法は違法で認められないものだが、新聞記者としては取材、情報収集のために検事長に近づくことは十分考えられる行動だ。
(4)このセオリーの逆をいく検事長から新聞記者宅を訪れ賭けマージャンをするというありえない非常識、不謹慎な立場をわきまえない行動だ。事態がことさら新型ウイルス感染流行拡大で緊急事態宣言が出され国民に外出自粛、休業要請をしているなかでの違法な無礼講であり、政治、政府権力者の国民主権者をあざむく、あるとすれば信頼、期待を裏切るいつわりの上塗りで日常の「本心」(true mind)が出たものといえる。国民主権者も検事長になめられたものだ。
(5)安倍首相は「首相として当然責任がある。批判は真摯に受け止めたい」(報道)と述べているが、言外には信頼回復のためにこれからも職責をまっとうして責任を果していきたいという常套句が隠れているのだろう。
安倍首相の言葉の軽さは以前からのものであり、政治家は同一だといえるが、一度ぐらいは当然ある「責任」を「真摯」に実行してもらいたいものだ。
(6)そうでなければ民主主義、国民主権が成り立たない、なりゆかない政治の堕落(degeneration)だ。