夕食は大きいテントの中で
懐中電灯の明かりでの
夕食です。
ドライバーさん達が炭をおこし
お肉やナス、パプリカ等々
色々焼いてお皿に盛りつけてくれました。
暗い中で何が何やら分からず
すかして見たりして
これは大間のまぐろかな?とか
これは名古屋コーチンか比内鶏かな?
等と馬鹿げた会話に大笑いしながらの
夕食でした。
顔も洗わずごろ寝の状態であるが
何と寒いことか、
予想をはるかに超える寒さである、
持参したセーター、ダウン、等々
全財産を着こみホカロンを
4~5個寝袋に入れたが
寒くて寝られない状態であった。
翌朝誰もが 寒かった、寒かったと、
寒がりのワタクシだけではなく
やれやれであった。
翌朝も地獄の門見学
旧ソ連時代の1971年の落盤事故以来
燃え続けているのである。
懐中電灯の明かりでの
夕食です。
ドライバーさん達が炭をおこし
お肉やナス、パプリカ等々
色々焼いてお皿に盛りつけてくれました。
暗い中で何が何やら分からず
すかして見たりして
これは大間のまぐろかな?とか
これは名古屋コーチンか比内鶏かな?
等と馬鹿げた会話に大笑いしながらの
夕食でした。
顔も洗わずごろ寝の状態であるが
何と寒いことか、
予想をはるかに超える寒さである、
持参したセーター、ダウン、等々
全財産を着こみホカロンを
4~5個寝袋に入れたが
寒くて寝られない状態であった。
翌朝誰もが 寒かった、寒かったと、
寒がりのワタクシだけではなく
やれやれであった。
翌朝も地獄の門見学
旧ソ連時代の1971年の落盤事故以来
燃え続けているのである。