こぶとりばばぁの鬼退治日記

ぶっそうな題名でスミマセン。

「世界の中心で…負け犬の遠吠え!」

2005-09-30 23:32:34 | どーでもいいこと
きのうTVで放送した『世界の中心で愛をさけぶ』をビデオに撮り、きょう観た。
時代設定は1986年。メールも携帯もない、まさにアナログの世界。カセットテープや当時のカセットデッキなんかがとても懐かしい。ラジオの深夜放送にハガキ…これもあの時代の学生の楽しみのひとつだった。今は、白血病は不治の病ではなくなっている。

高校一年の時。私は直接知らないけれど、同じ学年に白血病で亡くなった子がいた。彼女はウエディングドレスでお棺に眠ったと言う。

今、オバ様たちが韓流ブームといって熱くなっているのは、昔の日本の純粋な時代への憧憬だと言われているけど、『セカチュウ』がヒットした土台には、若い人達にもある程度の制約の中で、アナログが生み出すドラマ性を求めている面があるのでは???と思ってしまった。利便性を追求した日常には、もはやドラマは発生しないもの…。

だいぶ前、電車の中吊り広告で「AERA」だったか?「世界の中心で愛をさける人々」と言うのがあった。オッオー!面白いタイトル。残念ながら本文は読んでませんが…。
んで、それに対抗して考えてみました。(対抗してどーする???)
「世界の中心で、負け犬の遠吠え!」…。
どーよ。これ、私のこと。
この場合、世界の中心は何処にしようか?

ファンと言うには…

2005-09-29 21:56:30 | ひとり言
きょうは作家、遠藤周作氏の命日。
亡くなってから9年になる。亡くなった午後6時36分、丁度恵比寿の駅を降りて、ビルの上に設置されている時計の針を見たときの時刻が午後6時36分で、翌日の新聞を見てびっくりしたことを鮮明に覚えている。
生前、「死」について考察した文も結構あった。実際、生死をさまよったこともあった。天国の遠藤周作氏に、そちらの世界はいかがですか?と問いたいが、私自身もあっちに行かないと答えは見つからない。

多感だった青い時、思い出すのも恥ずかしい(いや、今も恥ずかしい存在かも…(^^;;)未熟な時、人間不信に陥っていてどうにもならないときに、偶然本屋で見つけた本が遠藤周作のエッセイだった。私自身はクリスチャンではないけれど、高校がカソリックの学校だったから、シスターがよく話題にしていた作家だった。それがかえって嫌な印象として残っていて、まさか自分がその作家のファンになるとは夢にも思わなかった。

子供だった私が助けてもらったのは、純文学作家遠藤周作ではなく、「ぐうたらシリーズ」の狸狐庵先生としてだった。その後、純文学も読むようになったけれど、正直私は時代物が苦手なのです。なので、未だに読んでいない時代物が何作品かございます。ハイ。
『沈黙』も二度読んだけど、最後の重要な「切支丹屋敷役人日記」は漢字だらけで飛ばしてしまった。(ここは重要なので、読まない人が多いけれど読むようにと、後に遠藤周作自らが何処かの対談で話されておりました…)

つくづく、声高に「私は遠藤周作のファンです」とは言えない立場だなぁ~と思っております。時代物を読んでいないし、あれだけの遠藤作品を読んでおきながら、人間的にもまだまだ未熟者でございまして…。周さん、ごめんなさーーーーーい!!(懺悔)

『ゴッドスペル』

2005-09-28 22:37:59 | ひとり言
きのうミュージカル『ゴッドスペル』を観た。
もう、20年以上前に、奈良橋陽子の劇団で英語劇の『ゴッドスペル』を観たことがある。もちろん英語だったので、内容はさっぱりわからなかったけれど、それでも良かったという記憶がある。
しかし、なんでこの時期、この日本で『ゴッドスペル』かなぁ~?聖書を知らないと理解できない上に、ミュージカルという形態。クリスチャンが人口の2割にも満たない日本で、しかもチャラチャラとしたおふざけモード。これじゃぁ、せっかくの役者の歌も演技も台無し。ストーリーが伝わってこない。大沢樹生を使っているのは、客を入れるため?
日本では、やはり聖書を土台にした作品を演目にするのは難しいのではないか、と思う。日本人は万の神様の文化にどっぷりと浸かっているから、一神教であるキリスト文化をエンターテイメントとして受け入れるには、少々硬過ぎるような。今まで、『ゴッドスペル』が日本で上演されなかったのもうなずける。
反面、同じ様に聖書を語った『ジーザス・クライスト・スーパースター』は簡潔に分かりやすく、しかも音楽がすばらしい。悩みを持っている人がクリスチャンでなくても、心が安らぐような温かみがある。
なんか、久々に、超ガッカリな舞台だった。ガッカリしすぎて、私の文章も支離滅裂?

宣伝カーに乗る。

2005-09-26 21:44:54 | ひとり言
山手線に乗ろうとした時、丁度ホームに滑り込んできた山手線に急いで乗った。
目的地に着き、降りた駅のホームを歩きながら、さっき降りた山手線の電車を何気に見たら、星野仙一の顔がいっぱい車体に貼られていた。
「あれぇ~?何の広告なのかなぁ~」と、マジマジと走り行く電車を見てみると、どうやら岡山県の広告であったようだ。
「おおっ!岡山。金、使ってんなぁ~」
そんなに観光地として誘致したいのかぁ~?
…実は、私は岡山出身である。
以前にも2,3度、岡山の宣伝をTVで見たことがある。そのCMも星野仙ちゃんが出ていた。
岡山のキャッチフレーズは「晴れの国、岡山」というのと(年間の晴れの日が多いそうな)、「燃えろ!岡山」というのがある。
「燃えろ!岡山」というのは、岡山県民が結束力がなく、クールなので、連帯感を持って、皆で岡山を盛り上げよう!というために出来たスローガンと言うのを聞いたことがあるが…。
確かに私自身も、岡山出身者の連帯感のなさにはよく遭遇する。むしろ隣の広島の人達との方が盛りあがったっりするのである。不思議だけど…。広島の人は人なつっこい県民性を持つのかなァ~。
高校生の頃、県民性について書いた本を立ち読みしたことがあるけれど、岡山県民は日本のユダヤ人と書いてあった。自分が岡山出身であることを隠したいのだそうだ。岡山県民の結束力の欠如はそこから来るのか…???

今は、高校生の間では方言が流行っているとのこと。私が上京したときは、回りの皆から、訛を矯正させられた。共通語が絶対だった。時代が変われば、価値観も変わるけれど、考えてみれば東京だけが日本ではなし、地方色があるからこそ、異文化交流も楽しいのでは…と今、この歳になってしみじみ思うのです。だから、今の高校生の方がその分、多様な考えが持てるのかなぁ~?

空間もアートか?

2005-09-25 19:59:42 | ひとり言
きょう、ダンスの先生のパフォーマンスを観に行った。場所はアートギャラリーで、ダンスを踊るための空間ではない。大きな部屋が二つ、ドアのない続きで隣合わせになっている。3グループが演じるが、その都度、観客は部屋を移動する。二組目は同時に違う曲で、二部屋で踊る。もちろん両方を観るのは不可能。何を表現してるのかなぁ~。不可解。と言うか、理解しようと言うエネルギーはもはや、ない。

ずーっと前、やはり観客が部屋を移動するダンス・パフォーマンスを観たことがある。その時は、同じダンサーが一時間、踊るわけだけれど…。

でもさぁ、なんでお金と時間をかけさせておいて、観客がダンサーに協力しなくちゃいけないのぉ~?その空間がどうしてもその作品に必要なものなのか?その必然性をダンスからは感じられなかったけどなぁ。是非、チラシには観客の協力による場所移動の件を記しておいて欲しいと思う。ま、大半はお付き合いで観にくる人達なんでしょうが…。(私もそうだった…)

確かに空間も総合芸術である舞台には主要素となると思うけど、観客に無理強いして参加させるのは好きではない。ただ単に「奇をてらう」に留まっているような。ダンスならダンスで見せて欲しい。演者が主体…というスタンスもあるかと思うけれど、私は観客が主体の舞台が好きなのです。ただ単純に、観客として舞台に参加したいのです。

一国一城

2005-09-24 23:25:20 | ひとり言
きょう、友人がやっている劇団の芝居を観に行った。以前も、アメリカン・バレエ・シアターのバレエを観に行ったとき、台風が直撃し、そのために観客数が激減だった。今回も、明日、台風がやってくれば観客は…。と心配になってしまう。今日の入りも淋しいものだった。
お芝居は友人が、脚本、演出、主演と言うもの。これで今年で10周年を迎える。すごいパワーだと毎度のことながら脱帽するも、もっと外に出て、視野を広めたほうがいいのではないかと思う。当たり前のことながら、芝居は自分以外の人間を描き、自分以外の人間を表現するわけだから、いろんな立場の人間を思いやる想像力も必要になるはず。自己評価が低いのも問題であろうけど、高すぎるのも自己満足で終わってしまうのではないか、と思う。
芝居に限らず、ワンマンというのはどこかに落とし穴があるのではないか?だから自民党ばかりの永田町なんか危惧してしまうのだけど…。
あ、でも友人のことは応援しています。

ところで、もうひとつ、友人絡みの話。
今、ヨガがブームのよう。ある全国展開のヨガ・スクールのHPに、ニューヨークのダンス・スクールで一緒だった子(いや、今はオジさんになったっけ…)が、そのスクールのエグゼクティブ・プロジューサーになっていて、びっくり!出世したんだなぁ~。感無量。

私の回りには、一国一城の主がやたら多い。「類は類(友)を呼ぶ」とは言うものの、あたしゃ、類から外れてます。はぁ~。(←溜息)

眼精疲労か老眼か…。

2005-09-23 22:47:34 | ひとり言
老眼になる年齢が前倒しになっていると言う。パソコンや携帯の画面によるものが大きな原因とか。
「眼精疲労を防ぐ・治す 眼の疲れをとる本」坪井隆(講談社)を読んだ。
あまり良く見えるメガネやコンタクトレンズは眼精疲労の元とか、メガネを購入するときは午前中にした方がいいとか、お酒を飲んだ次の日の視力は落ちているとか…。(だから、新しいメガネやコンタクトを購入する前日は禁酒した方がいいと言う)。ストレスはもちろんもってのほか。日本人に目が悪い人が多いのは、ひとえにクソまじめな勤務態度からくるという。(う~ん、うなずける!)瞳の黒い日本人は、欧米人より目が強いハズなのだそうだが…。眼精疲労。あんまり重要視されていないけど、毎日目のストレスを強いられている仕事を持つ大半の人達にとってもっと考慮されるべきものではないだろうか?
ところで、近くを見ていてパッと遠くを見たとき、焦点がぼやけているのはすでに老眼だとか…。もちろん30代以上の人に言えることですが…。あーーーっ、完璧、老眼?

Moon, forever…

2005-09-22 23:37:56 | ひとり言
きょうは、Moonの命日。
Moonは表は茶色、裏は白のチャトラ(アメリカではオレンジキャットと言う)のオス猫。いや、カマ猫か…。実際、女性より男性の方が好きだったなぁ~。頭が良くて、優しくて、そしてハンサム。ただ、食意地だけははっていて、18パウンド(約9キロ)のおデブちゃんでした。ニューヨークに住んでいたときのルームメイトの猫で、ルームメイトが帰国してからしばらく、私と一緒に住んでいた。
めったに鳴かないけれど、私が落ち込んで考え事をしているとき、
「どうしたの?」
と言わんばかりに「ニャ」。と一声鳴く。それで我に返ったりしたっけ…。
帰国したルームメイトが、彼を日本に連れて帰るためにやってきた。飛行機に乗せる前に、彼女はMoonを病院へ連れて行き、飛行機に乗せても大丈夫か診断してもらった。ストリート・キャットだった彼の年齢は4才くらいか…と勝手に思いこんでいたけど、獣医さんの診断では8才で、結構、中年のオヤジだったのでびっくりした。それでも合格点をもらって日本に行くことが決まった。
ところが、それが彼の寿命を縮めてしまったのだ。
18パウンドの巨体では客席には入らない。荷物置き場に入れられて13時間。成田に着いたときは、身体が冷たくなって息絶え絶えだったと言う。友人は航空会社に文句を言いに行ったが、「今まで、うちではこんなことはありませんでした」と一蹴されたと言う。
その航空会社は最近、経営破綻した。

ペットロスが問題になっている昨今。「所詮、犬猫なんだからぁ~」なーんて思ってみたりはするものの…、この私こそ、ペットロスに苛まれている張本人…と言ってもおかしくないような…。実際、住宅事情でペットは飼えないけれど、あの時の悲しみをまた味わなければならないのか、と思うとペットと暮らすことに二の足を踏むのです。

話が変わって、
きょう、リアルタイムでジェットブルー機292便が無事着陸したのをTVで観た。祈る思いでその画面を見ていた。本当に感動した。パイロットさん、スゴイよ~!!

きょうの「ホントにあった怖い話」

2005-09-21 22:32:09 | ひとり言
きょう、知人からビックリした話を聞いた。
彼女、ある派遣社員として面接に行ったとき、おもむろに血液型を聞かれたそうな…。
「B型です」。
なんでぇ~?と思いながらも答えた彼女。
そして数日後、不採用との連絡が…。
「あそこはA型とO型の方ばかりで、以前勤めていた人はB型だったそうで…」
ハァ~???
呆れたね。
確かに血液型のそれぞれの特徴はある程度あるとは思うけど、それは「絶対」ではない。人間4つのパターンしかないってことでしょ?そのまま信じたら…。
じゃぁ極端な話、近くにA型の殺人者がいたら、A型はみ~んな、殺人者か、その予備軍か…ってことになるじゃんか…。
人間ってそんなに単純じゃないよねぇ~。えーーー!そんなアホな話、実際あるんだぁ~!
とびっくらこきました。
世の中が不安定なためか、占いが流行っている昨今。でも、それはあくまでも一種の遊びの範疇であって、人生や生活を決める材料ではないと思うが…。あくまでも自分が主体だと思うけど…。SMAPの“Let it be”の歌詞に、「占いなんて怠け者の運命…」と言うくだりがあるけど、まったくその通りと思う。占いだけにこだわって、実際生きている自分が何もしなければ、人生すべては本人の怠惰からくるものだと思われるだろう。
いやぁ~、驚きましたねぇ。会社というれっきとした社会の一単位でこんなことがあるなんて…。

歳をとってからの…

2005-09-19 20:49:08 | ひとり言
最近、私の回りの友人たちは色めきたっている。
甥っ子、姪っ子の誕生がなんだか続いているからなのだが…。晩婚化の影響でか、最近になってやっとオジ、オバになった友人たちが多い。友人から甥っ子や姪っ子の写真を見せてもらうこともよくある。確かに可愛いよねぇ~。よく歳をとってからの子供は可愛いというが、歳をとってからの甥、姪もホントに可愛いようだ。実際、可愛いし、うらやましいよなぁ~。
うちの一番上の姪っ子は高校三年。もうとっくのむか~しに可愛い時期を脱し、おばさんなんか相手にもしてくれなくなった。その後に続く、甥っ子も姪っ子も、友人達と遊ぶ方が楽しくて、めったに会わないオバサンなんか、どーーーーでもよくなっているのである。
「今のうちよぉ~。可愛いのは…。そのうち相手にしてくれなくなるんだから…」
と先輩風をふかせるも、やっぱり友人達がうらやましいなぁ~。こちらが、無条件に子供が可愛いと思える年代になる前に、うちの姪っ子、甥っ子たちは可愛い時期を通り過ぎてしまった。。。。もうすでに時遅し。
ハタから、友人たちをムショウに羨ましがっている私なのであります。