昨日の『笑っていいとも!』で、1987年生まれのタレントが6人くらい出て来て、その年齢の共通項を当てると得点になると言うゲームをしていた。たとえば「子どもの頃に夢中になったアニメは?」と言うと「セーラームーン」。「セーラームーン」をあげた人が多ければ、その分得点になる。
1987年生まれと言うと、25,6歳。そして私は1987年に25歳だった。
生まれて初めてN.Y.に行ったのがその歳。そして留学したダンススクールに、なんと同じ25歳が圧倒的に多かったのにはビックリした。私たちは自分たちのことを25セントにちなんで、「クオーターズ」と呼んでいた。アメリカでは25セント硬貨をクオーターと言うから。
その中にいたクオーターズのひとりが、クオーターズの頃からずーっとN.Y.に住んでいて、日本に帰省するたびに会う友人です。
この夏も帰国するので会うことになっていたけど、キャンセルになりました。彼女のお父さんが突然亡くなったから。
ずっとずーっとN.Y.にいて、今回の帰国もどうしてもいい飛行機が取れなくて、不本意にも1ヶ月の日本滞在になったそう。ホントはもっと短い滞在にしたかったらしいけど。
こう言ってはなんですけど、本当に彼女が日本にいるときにお父様が天に召されたのは奇跡に近いと思います。彼女自身もそう言っていたけど…。神様の思し召しでしょう。辛いけど、自分を責めるような思いにとらわれずにすむだけ、彼女はよかったです。
それにひきかえ私は25歳のとき、N.Y.にいたときに母を亡くしました。しかも母が死んで1ヶ月以上も知らされなかったのです。だからずーっと、親不孝者と言う重荷を背負って生きていかなくてはいけないと思っていました。
だけど、今は違います。死に目に会えなかったのも神様の思し召しだと思っています。私が母の死を受け止められる器ではなかったから、母は私に自分の死を見せたくなかったんじゃないか…と、あれから倍以上の人生を歩んで来て、思うようになりました。自己弁解かもしれないけどね。
25歳…。今となっては懐かしすぎる!