こぶとりばばぁの鬼退治日記

ぶっそうな題名でスミマセン。

ナツメ

2018-12-27 19:57:29 | どーでもいいこと
今日は今年最後のヨガ。
インストラクターは中国人の先生。
何故かナツメのお茶の話になった。中国の人はナツメに生姜、黒糖を入れて飲むそうなのだ。
ナツメを知らないと言う人が多くて、インストラクターが丁度ナツメがあるから、皆帰りに試してみて…と言うことになり、一個いただいた。
私は中華料理にナツメがちょくちょく入っているので味は知っていたけど、乾燥させた調理前のものは初めて見た。
匂いは薬草っぽいけど、食べてみると甘くて美味しい。
私は薬草のイメージがあったけど、ドライプルーンの甘さ控えめなドライフルーツで、意外と美味しかったので、今度、どっかで見つけたら買ってみようかなぁ~。


誕生日に

2018-12-25 18:04:54 | 自己満足
昨日は嵐のコンサートに久しぶりに参加!
今年もダメモトで相葉ちゃんの誕生日に申し込んだけど、苦節何年?(毎年12月24日に申し込んでいた)やっと当選した。しかもアリーナ席で結構いい席だったからよく見えたよ。選曲もアルバム曲ではなくシングル曲がほとんどだったので、やっぱ楽しい。
相葉ちゃんが皆からのお祝いのお返しに「夢で逢いましょう」と言ったけど、残念ながら私の夢には出てこなかった(笑)。
私が初めて嵐のコンサートに行った時は、まわりが若いギャルばかりで肩身が狭かったけど、今は年齢層の幅が広くなってオバサンでも弾けられる。が、すごく楽しかった分、どっと疲れた…齢は取りたくないわな。

ところで、コンサート自体とは関係ない話を…。
寒い日のコンサートだから、お手洗いの行列がハンパなかった。普段は男性用のトイレも女性用になっていたけど、それでもものすごかった。私も40分並んだかな。開演前ギリギリ間に合ったけど、まだまだ行列は後に続いていた。開演に間に合わなかった人も沢山いたのでは?なんとか改善出来たらいいね。

自爆自営

2018-12-20 17:12:59 | ひとり言
昨日、年賀状を書き終えた話をしたけど、今朝の情報番組で郵便局員への過酷な年賀状ノルマの話が出てきた。
ノルマが達成できないと、その分自腹を切り、「自爆自営」と言うのだそうだ。

ちょうど郵便配達員をしている人から、年賀状のノルマの話を聞いていたから、本当に大変なんだと思った。
その方は配達をしているのに、700枚(だったと思う)のノルマを課せられた。が、営業職の人には7,000枚のノルマ。営業職は営業が仕事なのに、それはおかしい。配達員は配達に時間を取られるので、700枚(と記憶してるが…)も売れるわけがない。と、言うわけで営業にはもっとノルマを課すように主張したら、それが通ったと言う話。
すみません。なにぶん3日前に聞いた話で、枚数が曖昧なんだけど、そんな感じの話を聞いた。

私は郵便局単位でノルマと言うか、売上の競争があるのかと思っていたけど、個人戦だったわけで大変だったのね。早く改善されるといいけど…。

ちなみに写真の郵便局は、本文とは全く関係ありません。

年賀状

2018-12-19 19:58:36 | ひとり言
なんとか年賀状、終了~!
最近は年賀状を出すのを止めようと言う風潮がある。
普段会っている人はいいとして、年賀状でしか音信がない人もいるから、やはり年賀状の必要性はあると思う。元気かなぁ~と思いつつ、ひと言綴ってね。
きっと印刷だけの味気ない年賀状が増えているから、それで年賀状への思い入れが少なくなっているんじゃないかな。

献体

2018-12-17 22:44:31 | ひとり言
知人の奥様が献体された。
3年前に亡くなって、某大学病院へ献体。解剖が終わり、今日、火葬された。
その時間帯、他に5家族(?)が火葬の順番待ちだった。
知人にはお子さんがいない。
ご夫婦で献体をすること、遺骨はその大学病院の合同墓地へ埋葬することを決めたそうだ。

私は今まで、意外にも火葬に立ちあったことがなかった。
生まれて初めて遺骨を骨壺へ入れた。

お経も何もなく、あっさりとご遺体は焼かれていった。
死を直視する機会をいただいて、生きることの意味を実感した。

『履歴書代わりに』

2018-12-13 21:15:07 | ひとりよがり
吉村昭の本を久しぶりに手に取った。
『履歴書代わりに』をなんとなく開いてみると、

「上野の寛永寺から鶯谷駅の方へ下りていく所に、私を最も恐れさせている場所がある」
とある。
この場所、私もよく通っているから気になって読み進んだ。

「その場所というのは、環状線や東北・上信越へ向う列車の線路上に架けられた鶯谷の陸橋である」
と来たもんだ。

「私の眼に妙なものが映った。線路は十本近く橋の下を通っているが、その上に陸橋の手すりの下から畳一畳ほどの広さをもつ分厚い板が庇のようにさしのべられているのである」
はい。私も何だろうなぁ~と思っていたのですが…。

知り合いがそこから投身自殺をしたそうで、その庇のようなものが、かえって自殺を想起させるので、その場所が怖いと言うようなことが書かれてあった。

よーく見ると、高圧電力が通っているので危険と書いてある。もちろん吉村昭の時代とは違うものだと思う(1967年に書かれている)。ただ単に電線を守るためにあるのかどうかは分からないが、随分昔からあったのだろう。そして自殺者がたぶん吉村昭の知人以外にもいたに違いない。
私も、もちろんそこを通る人たちも、何も感じずに通っているんだけどね。