沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩391 アメリカの宣戦布告

2012年09月26日 20時39分02秒 | 政治論
 今月28日、順次岩国から移動、普天間着機するという通告、即ち民力に対する事実上の「宣戦布告」がこの国になされたということだ。折しも猛烈な台風17号がどういうわけか台湾付近からコースを北東に変えて那覇空港普天間飛行場方向へ向かい始めたのはさながら「蒙古襲来」の歴史的再現のようにも見えるが、当時の蒙古モンゴルと違い、この国の内部にこそ人民の敵がいるのでこの程度の嵐では総じてオスプレイを撃退するインパクトはないものと覚悟せねばなるまい。安倍晋三が捲土重来、満を持して軍国主義政権奪取のための保守代表に確定したので戦いの火の手は風雲急を告げる情勢と相成った。つまりこれは、戦後史のなかでもとりわけ明確な一つの大きな変容を表現する流れと見なければならない。いよいよこの国は、再軍備、核武装、憲法改悪という、「軍国主義路線」へ舵を切るきっかけを得たということだ。軍国主義、と言って不似合いなら「国際紛争の解決手段」としての「戦争」を憲法上「放棄」せずに、場合によっては大いに「駆使する」ということであって、なんということはない、軍国主義そのものであり、国民総背番号制を導入し個人情報の国家管理を可能にし有事には即時に「召集」できる実質的「徴兵制度」を確立していく。既に死に体の国体(天皇制国体としてのみ可能な抽象概念にすぎない)護持という専管事案を優先的に実施する法整備により、恐らくは奇妙奇天烈な教育方針のもと強制的に君が代を歌わされ(歌わなければ罰せられ)「お前の国は美しい神の国であるぞ」とばかり幼子に真顔で語る教師が国中に見られるのかな。我々は殆ど戦前を知らないし、体験者が口を揃えて「戦争の悲惨さ」を語る場面に幾度となく遭遇するのだが、こうした非体験耳学問の世代が、仮初にも戦争実験「やってみなきゃわからない」という太平洋戦争の参謀本部を模倣するものかわ。さて、米軍の襲来に沖縄はどう立ち向かうか。以下我々の戦いは続く(中断)

詩390 沖縄、高江からの切実なメッセ-ジ

2012年09月26日 16時03分16秒 | 政治論
「やんばる東村 高江の現状」「辺野古浜通信」(共に、オスプレイ沖縄配備計画の、ヘリパッド乃至飛行場建設に関わる地域に根差す有志ブログ)は連日のように、とりわけ前者にあっては時々刻々、ヘリパッド工事者と抵抗抗議住民有志との切羽詰った遣り取りが画像映像付きで報告されかつ、支援を広く全国に呼びかけている。自分に出来ることは何かをここで自問して欲しい。こうしたブログで開陳される情報を自身のブログで紹介するだけでもいい。既に日米政府は今月中の岩国駐機オスプレイ、沖縄普天間移動を公表し、仲井真知事、佐喜真宜野湾市長の直訴乃至配備断固拒否の宣言を軽視無視蹂躙し、その腐りきった「米国従属政治」を強行しようとしている。(これらの「言葉」には「意味」としてそのまま受け取ってしかるべき実質がある。決して「過激な」文言を「わざわざ」選んで何かを煽っているのではない)ここには日本人の一般的な、「沖縄だから」通用しうる無理強いの論理というものが歴然としてあるのだが、これを「差別」あるいは「人種差別(日本人と沖縄人を人種的に分別する学術的根拠はない)」と呼称することには少しも疑義を差し挟む余地がない。又、アメリカ軍事関係者には、太平洋戦争の沖縄戦で激越な戦闘の末分捕った土地、という占領地意識が根強く有り、かつ戦後間もなく帝国憲法上の大元帥つまりは「唯一の最高の」戦争責任者であった昭和天皇が国体護持を念願するあまり沖縄を永続的に日本の防共要塞化するべくアメリカに売り渡した事実がある。ここに市民性や主権在民、あるいは国際人権思潮に著しく齟齬する看過できない、実態が横たわっていると知るべきだ。アメリカには当然とりわけ沖縄に米軍基地を展開して損する謂れはなく、日本政府が国民の血税を「思いやり予算」で米軍に提供している限り「こんな安上がりの外国駐留基地はない」とほくそ笑むのも当たり前と言えば当たり前のことだ。つまりはその国の民を「思いやる」のをやめて軽負担戦後復興高度経済成長のために続けてきた当初の存在意義を喪失した安保体制の軍事的持続という「悪徳」から手を引き、民を「思いやる」政治に立ち戻るなら戦後の大方の官僚政治はその誤作動から回復するという希望もある。いずれにしろ、沖縄辺野古、高江、宜野湾、嘉手納等米軍基地所在行政地区では今や命懸けのオスプレイ配備反対抗議闘争が連日繰り返されていて、多くの人々の応援支援座り込み合流が求められている。時間等余裕のある方は是が非でも助力の手を差し伸べてください。(中断)