この国の主に先の戦争に関する史実研究者たちの、種々の検証資料を概観すると、例えば昭和16年12月8日開戦にいたる数次の御前会議やその間の重臣たちの交々の動きなど、そこには和平交渉の可能性に関しいくつもの局面があって、その都度誰かが戦争へ誤誘導するきっかけを拵える殆ど不作為の言動があり、かつまた、日清・日露戦以来の国民的好戦的傾向と、これに不可分に関わりつつ「扇動」の役目を担った新聞報道と言論封殺翼賛潮流が、徐々にこの国の中枢を病魔のように冒していく流れが見えてくる。
ナチスドイツの犯罪的悪意に満ちた共同謀議のことは言わずもがなだが、日本のそれは軍部単独の暴走というより、明確には計量し難い世論と報道の突き上げのすさまじさに政治が押し流されたという一面を否定できない。
結局山本五十六や天皇乃至海軍の一部にみられる開戦回避の思潮というものは、結果的にはなんの力もなかったというしかなく、もし歴史に学ぶという真摯な姿勢を示すとすれば、明確な熟議された理念性がない現実主義の、正当な民主的言論に対する圧殺傾向を、どこかで押し返す確固たる指導的理念がなければ、今後同じような国策上の過ちを繰り返すのだろうと思われる。
その指導的理念は、今のところ日本国憲法精神とりわけ9条に代表される「敗戦からの教訓」的縛り以外にはないようだ。だから、憲法9条から全てを理念的に判断する文民統制力が求められるのであって、明らかに謳っている「国際紛争解決手段」としての「戦争放棄」のための現実的な武装放棄であり、戦力保持の具体的否定となる。
従って当然ながら、明らかに軍事的同盟関係たる日米安保はその違憲性の故にただちに破棄されるべきであり、同時に自衛隊の武装解除と災害救助隊への編成替えが求められる。
当然また核武装に常にあと一歩の距離にある原子力発電施設は、直ちに閉鎖され向後の核廃棄物処理のための有効な手段を模索することに全力傾注すべきだ。勿論大震災復興が当面の予算編成にあって最重要課題であり、解決目的を優先し具体的現状の徹底した把握解析を行い、「かゆいところに手が届く」政治を目標にすること。
そして問題なのは「フクシマ」であって、現今住民の「あきらめと我慢」に頼っている緊急避難的政治から、微に入り細を穿つ放射能汚染対策プロジェクト集団を結集し、それこそ現実的に方策を練ることと対策の速やかな、事務的でない人間的実施を心がけること。などなど。(中断)