沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩379 愚昧な国家戦略ごっこから手を引くが良い

2012年09月12日 10時56分56秒 | 政治論
 沖縄県知事宜野湾市長と会談する生気のない森本御大の顔には、勿論余裕も何もないのが手に取るように見えるが(彼らの縛りは当然地位協定がらみだ)、「安全保障」、「安全保障」という割には、現実にその安全が脅かされている沖縄県民はもとより、関係自治体住民の「安全保障」がされてないオスプレイを、是が非でも配備したい日米軍事関係者たちの、矛盾に満ちた、「住民を守らない組織」たる軍隊論理(勿論論理というものではないただの情熱にすぎない)への意識拡張、拡大傾向を如何ともしがたく感じているジレンマさえ見えてくる。辺野古が一歩も進まないのと同様に「愚劣な」軍、民、押し合いへし合い闘争が無時間的に続けられるのかと、人間業ながらどうしようもない慨嘆を押し殺せないのであるが、いよいよ益々、国家が行おうとしている国家安全保障という事実上の戦争行為の、民性という本質がむき出しになってくる様を、化学実験室の試験管変化のようにはっきりと確認するような流れになっていく。「我々」にとって非暴力不服従はひとつの義務でさえある。何故なら彼らは「我々」の「敵」ではないが決して「味方」でもないのだから。とういうよりも決して味方にはなりえないのだから。従って戦後「我々」は「我々自身」を人権という台上に保全するために国家の戦争行為に加担することを一切止めたのであり、とりわけ明瞭に戦争のはらわたを見てしまった沖縄県民はお為ごかしでやってくる国家権力に対抗する民力を養う方向にのみ生きてきたのだ。そのまさに地元に、辻褄の合わない飛行物体を飛ばそうというのだから土台無理な話だ。日米政府関係者は、早々に自身の愚かさに気がついて、無理な軍拡から手を引いて立ち去る方が経済的だということさ。(中略)