沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩386 沖縄の苦衷に無関心な本土の日本人たちよ

2012年09月21日 11時52分07秒 | 政治論
 現在沖縄はまさしく戦場そのものであり、その直接の原因は、野田政権が、歴史的にも(将来に禍根を残す意味で)「無責任」に欠陥機オスプレイ「安全宣言」なる摩訶不思議な屈辱外交、民意無視の暴挙に打って出た所為で、これに対抗し如何にこれを阻止し撤回させるか苦闘を続けている地元にとっては、この地はまさに戦場にほかならないのであるが、言葉の実質上の意味においては「戦場そのもの」というのは、(本土の日本人もよーく考えて欲しいのだが)米軍基地国土展開の74%を、この狭い自然豊かな、しかもそれなりに人口密集地域でもある、普通の人間が普通に暮らす弓なりの小島に押し込んで、まさに戦争のための「人殺し」を業務とする訓練のために、連日連夜、早朝深夜も分たず、住民の生活的安寧を損なってさえ何一つこれを顧慮するわけでもなく(負担軽減とは名ばかりの実情がある)、彼ら自身の「戦争状態」を継続してやまないという状態と、これに対抗し抵抗して日夜「座り込み」による「非暴力不服従」運動を展開する沖縄住民が、本土の人間なら容易に回避できるはずの「基本的人権」侵害実態のど真ん中に投げ出されているという状態は、まさにそれこそ「戦場」そのものではないか。
 本来なら、「安保体制」維持のためにしか沖縄を使わない日本人に向かって、「お前たちのところに基地を全部持って行ってくれ」という話だが、「差別精神」と「対岸の火事」エゴイズムに凝り固まった彼らは「俺たちに火の粉をふりかけるな」と、言い放ってはばからないし、これを聞いて怒りをぶつけるべきなんらの決定機関もない沖縄の住民はまさに、軍隊と雑居させられている「戦争状態」にあるということになるのだよ。
 その理不尽な軍隊論理の強行から、日本並び極東、西太平洋の安全保障のため、沖縄は太平洋の要石だとして、いつの間にか既成事実をしつらえた(戦後最初からこういう立ち位置に沖縄がいたわけではない)この国とアメリカは、県民90%が忌避している日米軍事同盟をこの沖縄に展開して倦むところがないばかりか、今や確実に数年内に墜落し人を殺すであろう恐るべき欠陥機を日本国中に展開しようという、キチガイじみた話になっている。
 本土の日本人よ、もし米人の言う「精神年齢12歳」汚名(これは汚名かな?)を返上しようというのなら、今こそ大人になってこういう理不尽をこの国から排除するために大人の行動をしようじゃありませんか。(中断)