沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩392 普天間飛来延期だって

2012年09月27日 23時43分42秒 | 政治論
 台風17号も然ることながら、ここ数日の、県民大会以来の激越な市民行動が、28日飛来予定オスプレイ沖縄侵略を食い止めた(延期)と捉えてもいいかもしれない(沖縄タイムス27日夜半の防衛省取材報道、外務省筋公表)。彼ら軍隊官僚の文言には前言を翻す一切の後退宣言はないのだが、事実上強行されてきた反人民的非民主的沖縄差別の軍隊論理はいつものように「民力」の前に出鼻をくじかれたのだ。これらの市民行動には一定の評価が与えられてもいい。尤も度々繰り返すように、軍隊は住民を守らないという経験則からしても、岩国駐機の状態でこのまま無策に推移するということはなく、10月に入って頃合を見て順次配備飛行を決行するのは間違いない。従って国家対人民の対決はそれが一つの「意味」を持つまで(あるいは回心成就するまで)今後いよいよ激しさを増すのであろう。何故なら、如何なる観点から見ても、この、住民にとって間違いなくあらゆる点で生死に直結すると予想される頭上の敵には合理的な民益の欠片もないと言わざるを得ないからだ。つまりこの、危険な飛行物体にして軍事目的にしか使用されない殺人予定兵器に関しては、アメリカ軍産機構と日本の安保信奉狂信グループだけしか、配備を望む人間はいないのだから。我々の見るところ日本政府さえこれを民衆の頭上に飛ばすことを危険視している気配がある。彼らの安全宣言も彼らの中の安全確保に過ぎず到底民衆自身の安心を担保し得ないのだが、日米安保体制上「アメリカのすること」として国民に対する国家の責任を回避しうる事案と見れば言い訳も立つというわけで、結局日本政府野田内閣はその凶状持ちの急ぎ旅を可能な限り利己的に打ち上げ花火のごとく生き延びようとしているにすぎない。この半ばプチニヒリズムに彩られた非情のライセンスが破滅と背腹にあることはいうまでもないが、そのあとの安倍政権も橋下閣下も胡散臭さには同様の絶望的な数年を予感させる。さて、阻止行動の今後を緊縮しなければならない。待ったなしの状況はいつも目の前にある。(中断)