沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩373 沖縄県、宜野湾海浜公園多目的広場で9月9日開催されるオスプレイ配備反対県民大会

2012年09月07日 08時31分40秒 | 政治論
 2007年9月29日同地では高校歴史教科書から「集団自決」への軍の命令、強制、誘導等の表現文言を削除する文科省指示に関し抗議し撤回させるべく県民大会が開催された(11万人動員と発表された)。その5年後に今度はオスプレイ配備反対の県民大会が同じく開催されるのだが(その規模は前回を超えると言われているらしい)、仲井真県知事は6日、非公式に、この大会に参加せず(前回は出席した)メッセージだけ送るということを関係者に伝えたらしい。日頃の言動、公式の発言からして、このメッセージがあくまで配備反対の意思に集約されるだろうことは明白だが、ほかならぬ県のトップが「別行動する」ということの意味は決して浅くはない。もしこの別行動がオスプレイに関することならば県民大会が大手として彼の攻め手は搦手ということになる。その逆も言える。しかしながら仲井真知事がしばしば見せる「日米同盟容認」姿勢に発する言動からして前原政調会長筋の流れへの加担やら、政治生命賭けての「大博打」の可能性すら否定できない。比嘉元名護市長の例もある。ただ今回は辺野古容認のようにはオスプレイを容認する謂れがなく、言ってみれば最初から沖縄県民の民意はどんな方向にもネジ曲がる性質を有しない、と全ての行政府が同調した内容になっている。一方、日本政府がアメリカの言うがまま敗戦国待遇に甘んじ続ける限り同盟堅持とは別に、アメリカ軍隊論理はその「沖縄軽視」姿勢を変えることなく是が非でも軍人としての職責を全うしようとするだろう。新米(しんまい)総領事のふざけ切った発言などは言ってみれば日本という国家に対し軽侮した心情をノホホンと吐露したと言うに過ぎない。勿論一顧だに値しないし彼に替わって誰かが来ても実質は何も変わらないだろう。彼は文官だが文官故に軍事的部外者の無責任ささえ漂わせている。総じて日米軍事同盟関係は沖縄にとって「嘔吐」の対象であり唾棄して去るべき汚物にほかならない。そもそもオスプレイだから配備反対、というよりも、日米の軍事行動自体が沖縄県民の意思に反するのであって軍事行動から生じるあらゆる局面に対し、等しく忌避の念を強くするのが県民全体の基本的情調にほかならない。その因源は沖縄戦でありその口伝である。この史実が持つ深くて重い伝播力が沖縄県民にしかやってこないという現実は、沖縄の第二の悲劇としかいいようがない。日米同盟という張子の虎の陰で惰眠を貪る平和ボケした本土の日本人よ。お前さんがたの頭上をオスプレイが爆音轟かせてフラつき飛行訓練を繰り返すときが刻々と迫っているぜ。(中断)