「やんばる東村 高江の現状」「辺野古浜通信」(共に、オスプレイ沖縄配備計画の、ヘリパッド乃至飛行場建設に関わる地域に根差す有志ブログ)は連日のように、とりわけ前者にあっては時々刻々、ヘリパッド工事者と抵抗抗議住民有志との切羽詰った遣り取りが画像映像付きで報告されかつ、支援を広く全国に呼びかけている。自分に出来ることは何かをここで自問して欲しい。こうしたブログで開陳される情報を自身のブログで紹介するだけでもいい。既に日米政府は今月中の岩国駐機オスプレイ、沖縄普天間移動を公表し、仲井真知事、佐喜真宜野湾市長の直訴乃至配備断固拒否の宣言を軽視無視蹂躙し、その腐りきった「米国従属政治」を強行しようとしている。(これらの「言葉」には「意味」としてそのまま受け取ってしかるべき実質がある。決して「過激な」文言を「わざわざ」選んで何かを煽っているのではない)ここには日本人の一般的な、「沖縄だから」通用しうる無理強いの論理というものが歴然としてあるのだが、これを「差別」あるいは「人種差別(日本人と沖縄人を人種的に分別する学術的根拠はない)」と呼称することには少しも疑義を差し挟む余地がない。又、アメリカ軍事関係者には、太平洋戦争の沖縄戦で激越な戦闘の末分捕った土地、という占領地意識が根強く有り、かつ戦後間もなく帝国憲法上の大元帥つまりは「唯一の最高の」戦争責任者であった昭和天皇が国体護持を念願するあまり沖縄を永続的に日本の防共要塞化するべくアメリカに売り渡した事実がある。ここに市民性や主権在民、あるいは国際人権思潮に著しく齟齬する看過できない、実態が横たわっていると知るべきだ。アメリカには当然とりわけ沖縄に米軍基地を展開して損する謂れはなく、日本政府が国民の血税を「思いやり予算」で米軍に提供している限り「こんな安上がりの外国駐留基地はない」とほくそ笑むのも当たり前と言えば当たり前のことだ。つまりはその国の民を「思いやる」のをやめて軽負担戦後復興高度経済成長のために続けてきた当初の存在意義を喪失した安保体制の軍事的持続という「悪徳」から手を引き、民を「思いやる」政治に立ち戻るなら戦後の大方の官僚政治はその誤作動から回復するという希望もある。いずれにしろ、沖縄辺野古、高江、宜野湾、嘉手納等米軍基地所在行政地区では今や命懸けのオスプレイ配備反対抗議闘争が連日繰り返されていて、多くの人々の応援支援座り込み合流が求められている。時間等余裕のある方は是が非でも助力の手を差し伸べてください。(中断)
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