沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩387 政治に抗議の声を上げるのは無力だが希望はある

2012年09月22日 08時56分38秒 | 政治論
 県民の90%が「いらない」といっている日米安全保障条約(日米軍事同盟)により、国内に展開する米軍の軍事基地から発進したB52戦略爆撃機が、ベトナムで無辜の民を無残に殺傷していた時代や、又東西冷戦の幕開けの朝鮮戦争からこんにちまで、沖縄はその基地の存在で彼らアメリカの戦争の片棒をいやでも担がされ、本土で他の日本人が「平和な時代」を謳歌しているとき、直に戦争における「殺し合い」の罪責まで担わされ、不如意な精神的負担を余儀なくされたうえに、激しい基地反対運動にあい本土を追われた海兵隊が、ここ沖縄に流れ着いて結局74%もの過重負担を押し付けられる状態にまで、偏頗に差別され続け、戦後間もなく占領軍である米軍によって県民の土地が「ブルドーザーと銃剣」で強引に基地化されたときから、本土のどこでも考えられない米軍基地負担、軍民雑居、戦場状態の県土に県民は住む羽目になった。そうさせられた。
 しかもこの状態は、それ以前の太平洋戦争時に、戦況末期敗色歴然たるとき、最後の激越な戦闘を繰り広げた「沖縄戦」が醸し出した「戦場」と、瓜二つの様相を呈しているということだ。
 この沖縄戦が県民に教えたのは、「軍隊は住民を守らない」、という事実だったが、その内容たるやまさしく現今日本国政府とアメリカが沖縄に対して実行しているあらゆる施策に如実に再現されているという、恐るべき話である。(少なくともマスコミマスメデアが「過剰な反応」の如く伝えている沖縄に関する反基地運動、非戦活動、沖縄の史実へのこだわりというのは、ここに住んで種々の学習を心がければ直ちに気がつく、正銘の、まともで正当な声なのである)
 このため沖縄では本土の日本人が経験した「戦後」というものはなかったし、逆に今まさに血腥い戦争状態(戦争準備訓練基地の存在と対外戦地への発進基地そのもの)が継続しているのだ。(ここを飛び立つ戦闘機が明日にはアフガンの人々を殺しているのは間違いないわけだ。)
 そこへ来て押し止められないアメリカ軍略行軍の様々な地元軋轢をこの国の政府と国民は少しも改善除去しようとしない。普天間という危険極まりない基地を撤去することさえできない。地元の執拗な捨て身の抗議行動で中座している辺野古のこともただただ呆然と放置しているだけだ。
 高江のオスプレイヘリパッド建設工事は今、地元民と活動家の必死の抵抗も効を奏さず隙を見ては現場突入しみっともない人民蹂躙工事に夜も日も明けない。嘉手納、普天間では恐るべき爆音を響かすジェット戦闘機の殺人的飛行に対し住民が怒りの抗議行動訴訟活動を繰り広げてるが一向に埒があかないのは、当の日本国政府がこれの敵側に回っているからだ。
 軍略的な論理的理由のない「安保堅持」は言い訳で、要は彼らは重大案件に対し「拙速」と「安易」さを追求するのみで苦労して切り開く政治的努力を完全に放棄しているのである。ともかくこういう現今政治に抗議の声を上げていくしかありませんよ。無力ではあるが希望がないわけではないので。(中断)