沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩381 軍隊は住民を守護しないという事実の、住民における確認の必要性

2012年09月15日 11時25分29秒 | 政治論
 米軍基地が沖縄県民の基地撤去意思に反してでも存続する理由は、所謂「太平洋のkeystone(要石)」とか言う米軍再編にあってただでしかも莫大な予算添加によりあてがわれている沖縄諸島という棚ぼたを、本国将軍どもが手放すはずもなく、言ってみれば己の種々の要求(そこには軍事以外の思惑もある)に基づく軍略上の意思により、「住民意思」とは何の関係もなくはびこっている、という現状にあるといえる。ここにも他国の軍隊ながら「人間よりも」軍事を優先する軍隊特有の論理がまかり通っているのだが、およそ軍隊が住民を守らない決定的な本質については、例えば現森本防衛相(元自衛隊勤務)が県知事や宜野湾市長にオスプレイ配備につき説明に来る今回のバッドタイミング(反対県民大会直後)などは「軍隊はおまえさんがたの言うことなんかききませんよ」という意思表明にほかならないわけで、こうした国家の軍事的行動が決して当事者たる住民を守らないことを住民は如何なる懐柔策にあっても決して忘れてはならない。このことは原発(これが核開発に寄与する物件であることを想起せよ)に関しても同断であろう。福井県知事の選挙対策言動がいかに将来的な危機を喚起するものなのかよくよく見定めなければならない。見よ、「フクシマ」の悲劇は、子孫に至る道筋に、人類汚点たる害毒を垂れ流す行為の是認という、県民の選択がもたらしたのだ。今沖縄で継続的に繰り返されている捨て身の「座り込み」闘争は、環境保全、生活権利行使はもちろん将来的な子孫の安寧を祈念する地元住民の真情の発露以外の何物でもない。何故県民は米軍自衛隊展開に抵抗抗議反発するかといえばほかならぬ沖縄戦で無残に体験させられた、軍隊の本質認識によることは言うまでもなかろう。例えば尖閣を巡る日中の確執からどんな謀略が企図されるかを我々は凝視する必要がある(かつて満州某重大事件があったじゃないか)。小平時代に不問に付す(棚上げする)政治的緊急避難を約定したはずの案件に都知事が着火した。今彼の言動の功罪を論うものでないが彼の行為が日本の右翼軍国主義思潮に一定の揺るぎない根拠を与えたことは間違いない。軍事的解決に至るのはほんの一歩である。沖縄が火の海になるのは目に見えている。この国は同じ過ちを何の反省もなく繰り返すということになる。こんな国のどこが「美しい」のかのう。(中断)

詩380 ジャーナルに意見具申しないと蔓延り始める右翼、という危険 

2012年09月15日 00時26分34秒 | 政治論
 ジャーナリズムとはジャーナルに事変に対応していくことに文民的果実を見出す作業ということだと思われるが、このジャーナル「日々」という意味の中には勿論「歴史的光源」が含まれるはずであり単純な時系列の一単位のみを指すわけではない。ところが「その日暮らし」の「右翼系ジャーナリズム」は、論理に基づく理論は勿論、歴史的視野も持ち合わせないので、日々所謂「左翼モグラたたき」や「揚げ足取り」に勤しんでいて、しばしば、さながらしつこい雑草の類のごとく「抜いても抜いても」毎日生えてくる非情なていたらくのわけさ。で、こういうやからに気を取られていると足元が見えなくなり、歴史の潮流から弾き出され、日常的忙殺の中に霞んでいくということになる。彼らがでっち上げる嘘、意味のない空論、論理性のない「議論のための議論」、扇情的に言い募る空疎なプロパガンダ、がとりわけネットジャーナリズム横溢する昨今急激にかつ脅威的に急迫する実情にあってはこれを屡々排撃しないわけにもいかないのだが、ところで日米安保の枠組みの中で「右傾化する」ということはどういうことかというと、ある論難から引用するなら、自衛隊を国軍化し憲法を改悪し集団的自衛権行使を可能にし、かつ原発使用済み核燃料の再利用、ウラン、プルトニウム抽出により核兵器開発可能な状態に据え置き(既に廃炉だろうがなんだろうが原発は核兵器のためには、いつでも再利用可能な貯蔵施設のはずだ)米軍の友軍、乃至補助軍として戦争のための実戦訓練強化により米軍行くところどこへでも直ちに出向しうる体制にするわけだ。この、核開発は、米軍「核の傘」関係からすると同盟効果の否定につながるが国内核実験の困難さやら膨大な費用の観点から恐らくは核資源輸出の方向に行くのだろう。で、このような体制作りのために安倍晋三、橋下徹、らを筆頭にこの国のおそらく少なくない数の知識人を巻き込んで、自虐史観の修正、歴史教科書記述変更等による旧軍悪弊隠蔽と同時に皇国「美しい国」への献身的犠牲の美化、つまりは国のために死して尽くすことが「愛国」であり、死を恐れないことにこの国の絶頂的歓喜を象徴化する企てに邁進するわけだ。今自民民主それに公明維新をくわえて、正当な理念的国家改造姿勢すら一切諦めたこの国の自称「憂国の士」どもが「我々」人民の生き延びる代(しろ)を奪い取って破滅への階段を上り始めている。かのオスプレイ配備を皮切りに蹴散らし蹴散らし、いったいどのような鐵の鉤十字を掲げるものやら。(中断)