強盗を目送する、ということをこの国と人民はしてやしないか。戦わずして盗人を「憎々しげに」見送っていないか。その内実に悔恨に満ちた「苛立たしさ」を抱え込んで、これからもそうした「絶望」や「あきらめ」に仮託して己の真情に背を向けてないか。沖縄県国頭郡東村高江地区(米軍北部訓練場がありオスプレイが頻繁に飛ぶ予定になっている)に住する160人の住民に対し例えば「ここに危険極まりないオスプレイを訓練飛行させるのでかくかくしかじかの土地へ移住していただきたい」なんて言ったことがこの国にはただの一度もないのだが、これはれっきとした国家による他国軍隊の殺人予定行為以外の何かなのだろうか。勿論普天間住民に対しても同様なことを繰り返しているが、「人殺し命令」しか知らない軍隊に口酸っぱくして叫んでみたところでどうにもならない。この軍隊のトップはオバマである。従って10月末なんて言ってないで早速知事はアメリカ本土に乗り込み、即刻オスプレイの計画中止と普天間無条件返還を言い募るべきだ。それができないなら沖縄県の知事である資格はない。(中断)
沖縄県民に今あるのは何だろうか。遣りきれない悔しさ、煮えたぎる怒り、絶望的な思い、およそ軍隊、軍事、に関する一切が、とりわけ沖縄住民にとっては絶対的な敵でしかなかった現実への思い、地位協定という治外法権が繰り出す米兵犯罪の免罪化に血の涙を絞らされた過去及び現在未来、への恨(ハン)、「出て行け」と声を上げてもここから出て行かないよその国への軽蔑、?憎悪、(アメリカに向けた刃を返す手で)日本国がつまり日本という国、その国民、そして政府が沖縄に対してしてきたこと、していること、今後するだろうことへの呻きに似た嘆き、というふうに、たかだか6、7年住んだくらいで想像している者には到底思い及ばぬ何かがあるにちがいないのであり、今この国のある意味その生育環境、境遇、経験、知遇、交友関係、が特にいくらか大衆的な部分から選別された人達の手に委ねられた政治権力乃至政治決定権により、原子力に関しての国の運命を左右する意思決定に関与する行為やら、とりわけこの国の裁量にない国家安全保障についての外国の計画に基づく軍事行為が、この国の民に及ぼす甚大な影響に関する、人々の不安懸念苛立ちのことは殆ど無視したとしか言えない、オスプレイ「安全宣言」という、外交の、無責任な見切り的発信や、恐らくそういう様々な住民の不満鬱積の原因母体となって現在野田政権は多分「拙速」というワラジを履いて兇状旅を続けているのであろう。この政権は鬼っ子に違いなく、気を付けないと日本はとんでもない具合に道を踏み外すような気がされる。誰がいつこいつらを退治してくれるのか。(中断)