沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩389 この国で9条が有効かどうかという検証

2012年09月25日 20時15分37秒 | 政治論
 日本の、国としての右傾化は、欧米が当然に懸念するほど突発的な軍国化を準備してないことは明白であろうが(9条の縛り)、例えば独島を巡る反日教育という、徹底した方針のもと国民をある一定方向へ誘導する韓国のように、日本が、むしろ戦後明かに冷え切った国家(国防)意識にあって、国民をある一定の方向へ向かわせる何らの必然性も持たないという事実のほうが、逆にある種の絶望感を齎しているようにさえ思われるのはどうしてか。
 しかしながらこれは、実は敗戦とともにこの国に訪れた非常に非精神的な実態(魂の抜け殻状態)と同一地平にあるといったほうがわかりやすい。
 既に国民は、この国が、外国である戦勝国アメリカによってその国策を決められていることに気がついているし、多くの政治的局面においてアメリカが介在し、その方針に一もにもなく従わされている自身の国民的運命にも気づかされている。彼らの中の有識者と言われる連中の大方は、それを少しばかりの自嘲とともに黙認是認し、精神的又は政治的に内容のない空疎な言葉の「右傾化」を弄んでいるってわけだ。
 実効性も実現性もないこれらの騒々しいから騒ぎは、メデアやマスコミに嫌というほど溢れているが、一方で、無力な精神に覆われた政治的主張から、実効性と実現性への限りない展望を開陳しようという所謂現場というものがあり、そこに繰り広げられる精神的政治的な「言葉」には現実があり、戦うべき相手があり、守るべき銃後があるという、真に望まれたコミュニテイの存在が見え隠れする。
 いつの時代も、とは言うまい。恐らく十把一からげに論じるには余りにこの国は病んでいる。この精神病態は明らかに現実化し、早晩重篤に陥ることが見えている。これで偶然に、間違って?アメリカから「自立」したら一体この国はどうなるのだろう。所謂国体護持方針という敗戦前後の究極した国家方針が、さながら亡霊のごとく彷徨い出て、現今政治状況すらひねり出している現状では、民衆は、到底この国にあっけらかんと追随できまい。
 ここでいう国体は明らかに天皇制国体であり「言葉」として既に有名無実化している。為政者の意識の中の不信に満ちたこの古い専権制が一人歩きしてこの国の内容のない「右傾化」が喧伝されているに過ぎないのだが、諸外国の受け止めは(欧米はじめ中国韓国でさえ)、言わば都知事の時代錯誤(対中侮蔑精神)にうっかり乗せられて政府が尖閣国有化宣言して醸し出したのは、どうやら「右傾化」し再軍備し、侵略的行為に移行するのでは、という根拠の薄弱な連想から生じた危惧それ自体でありはしないか。
 この国に軍国精神を蘇らせるだけのエネルギーはない。あるのはむしろ捻じ曲がった、反共的対米従属の冷え切った情念に宿る、偶発を利した謀略企図かと思われる。一方、米中韓にはれっきとした戦闘精神があり刺激すれば暴発さえ誘発する暴力装置そのものだ。ここに、この国日本の無力さがあり、それゆえに有力かもしれない憲法があり、民衆の可能的エネルギーが潜在する。と、一応結論しておく。(中断)

詩388 かくして反日反米、反中覇権主義となる

2012年09月25日 07時58分18秒 | 政治論
 仲井真沖縄県知事が森本や官房長官に「直訴」するのは当然のことだが、逆に言えば、彼ら政府人がアメリカ「戦争経済主義」を全面的に受容し、かつその「戦略的一方的最恵国待遇」外交姿勢を維持している限り、彼らの中の外交防衛思想の変更というのは基本的に有り得ないということもわかりきったことではあろうし、知事が、目を赤くして手にしたメモを読み上げている様は、いよいよ、切羽詰った自身の政治生命という難題に直面した瞬間を表していると思うが、一方、「直訴」とは行政府の長が為すべき業とは言えず、ここに俄かにこの国の中央集権実質を露わにしているとさえ言えそうで、彼には一体どんな目算があり、本心から配備撤回をやり遂げようとしているのかすら疑わしく、何故知事公室長辺に対米工作を任せている(NHKクローズアップ現代によると)か理解ならないと、誰かが不平を漏らしても不思議ではない。ここに来て、日本側からすれば急速に気色ばみはじめた日本国を巡る中韓米の絡み具合が、所謂「熱い戦争」を予感させる微量の気配さえ見せないのに拘らず、少なからぬ「緊張関係」を醸し出しているのは、マスコミが垂れ流す何らかの意図に基づく情報流布が国民感情を刺激しているということもさることながら、アメリカ世界戦略を軸に日米同盟米韓同盟と対中外交模索にあるアメリカの思惑がなにを目指しているかについて定見を見いだせないジレンマに落ちているからではある。しかし「恒常的に戦争状態」を継続させられている沖縄県民にとってはオスプレイは単なる危険的飛行物体であり、その配備強行行為は県民への「宣戦布告」としか受け止められてない。しかもこの戦争は、「侵略者」アメリカが、敗戦国日本の安保便乗軽負担安逸主義にのうのうと居座り、戦後全く変更なくきた属国関係にあっては当然の軍事的行為一般を指しているのであり、その功罪は当然に日米政府双方にあるのは見えている。つまりおためごかしはもとより、沖縄にとってアメリカも日本政府も同じ敵対関係者に過ぎず、これ以上琉球処分や沖縄返還、また遠くは島津侵寇の轍を踏む愚が許せるものか甚だ疑わしい。日沖関係はさながら現今日中、日韓関係と同断であり、その実質は「反日」状態に近いものがある。従って「反日」「反米」といくのだが、実は中国に対してもその急速に顕在化する覇権主義には真っ向から敵対する感情を抑えられない。総じて沖縄は「非戦」「不服従」姿勢を決して崩すことがないのである。それにしても憎むべきはオバマだ。(中断)