日本の、国としての右傾化は、欧米が当然に懸念するほど突発的な軍国化を準備してないことは明白であろうが(9条の縛り)、例えば独島を巡る反日教育という、徹底した方針のもと国民をある一定方向へ誘導する韓国のように、日本が、むしろ戦後明かに冷え切った国家(国防)意識にあって、国民をある一定の方向へ向かわせる何らの必然性も持たないという事実のほうが、逆にある種の絶望感を齎しているようにさえ思われるのはどうしてか。
しかしながらこれは、実は敗戦とともにこの国に訪れた非常に非精神的な実態(魂の抜け殻状態)と同一地平にあるといったほうがわかりやすい。
既に国民は、この国が、外国である戦勝国アメリカによってその国策を決められていることに気がついているし、多くの政治的局面においてアメリカが介在し、その方針に一もにもなく従わされている自身の国民的運命にも気づかされている。彼らの中の有識者と言われる連中の大方は、それを少しばかりの自嘲とともに黙認是認し、精神的又は政治的に内容のない空疎な言葉の「右傾化」を弄んでいるってわけだ。
実効性も実現性もないこれらの騒々しいから騒ぎは、メデアやマスコミに嫌というほど溢れているが、一方で、無力な精神に覆われた政治的主張から、実効性と実現性への限りない展望を開陳しようという所謂現場というものがあり、そこに繰り広げられる精神的政治的な「言葉」には現実があり、戦うべき相手があり、守るべき銃後があるという、真に望まれたコミュニテイの存在が見え隠れする。
いつの時代も、とは言うまい。恐らく十把一からげに論じるには余りにこの国は病んでいる。この精神病態は明らかに現実化し、早晩重篤に陥ることが見えている。これで偶然に、間違って?アメリカから「自立」したら一体この国はどうなるのだろう。所謂国体護持方針という敗戦前後の究極した国家方針が、さながら亡霊のごとく彷徨い出て、現今政治状況すらひねり出している現状では、民衆は、到底この国にあっけらかんと追随できまい。
ここでいう国体は明らかに天皇制国体であり「言葉」として既に有名無実化している。為政者の意識の中の不信に満ちたこの古い専権制が一人歩きしてこの国の内容のない「右傾化」が喧伝されているに過ぎないのだが、諸外国の受け止めは(欧米はじめ中国韓国でさえ)、言わば都知事の時代錯誤(対中侮蔑精神)にうっかり乗せられて政府が尖閣国有化宣言して醸し出したのは、どうやら「右傾化」し再軍備し、侵略的行為に移行するのでは、という根拠の薄弱な連想から生じた危惧それ自体でありはしないか。
この国に軍国精神を蘇らせるだけのエネルギーはない。あるのはむしろ捻じ曲がった、反共的対米従属の冷え切った情念に宿る、偶発を利した謀略企図かと思われる。一方、米中韓にはれっきとした戦闘精神があり刺激すれば暴発さえ誘発する暴力装置そのものだ。ここに、この国日本の無力さがあり、それゆえに有力かもしれない憲法があり、民衆の可能的エネルギーが潜在する。と、一応結論しておく。(中断)