Naked a STYLE (サブログ)

映画レビュー、ニュースネタを中心に、自身のメンタルチックな話題を絡めて、ノージャンルで書き綴るぜぃ~

両親の実家へ帰省した記憶=583系だった・・・

2017年04月08日 23時59分59秒 | Weblog

寝台列車「583系」ラストラン 秋田で引退セレモニー(gooニュース・毎日新聞04月08日 20:05)


【残る記憶で物悲しさ発症】


この記事を見て、最初に思い出したことは、タイトルのとおり、幼き頃~学生時代に列車で親の実家まで帰省したことだろうか。
両親が共に青森の北津軽郡出身ということで、5回ほど親に連れられて帰ったことがある。


そのうちの4回が列車を使ったものと記憶している。
幼き頃から、乗り鉄だった自分は、その4回ともどういう列車を使って、どんなことがあったのかバッチリ憶えている。


たとえば、いずれも国鉄時代であることや、いずれも寝台列車であることなどだ。
寝台列車についても、東北本線経由の「はくつる」583系に1回、常磐線経由の「ゆうづる」583系に1回(24系客車で1回)、奥羽本線経由「あけぼの」24系客車(たぶん25型)に1回乗車したという記憶がバッチリ残る。


【583系といえば】


オレの中では、東北方面の寝台列車=583系だというくらい意識が埋まっている。
寝台列車で帰省するとなった際は、小学生の分際で、おふくろに「頼むから“はくつる”か“ゆうづる”の早い号にしてくれ」と泣きついた記憶がある。


当時、その選択でしか583系をチョイスできなかったからだ。
なぜそれほどまで好きだったのかは、そのフォルムが好きだったこともあるけれど、独特の3段ベッドに加え、乗車時間が客車引きより短かったからかな。


ガキの頃のオレは、どうせ寝ているのに、それでもスピードを重視したのだろうと分析する。


【583系の悲しい思い出(その1)】


オレの人生で2度ほど583系に乗車したことで悲しい事件が起こった。
一回目は、脱線事故に巻き込まれたこと。


これは、事件簿に残っていないようだが、ゆうづるに乗車中に一ノ関駅前後の駅で当該列車が脱線したんだ。
まだ夜も明け方微妙なくらいの早朝だった。


たしか、485系の“特急はつかり”に振り替えられ、青森まで行った記憶がある。
当時は新幹線もないわけだから、上野発の特急青森行きという列車が当たり前にあったことも、今思えば懐かしい限りだ。


【583系の悲しい思い出(その2)】


同じく、ゆうづる号に乗車中、黒磯駅のだいぶ手前だったと思うけれど車内改札が来たんだよね。
そこで、その車掌に「この切符には特急券がありません」と吹っ掛けられたんだわ。


おふくろは、旅行会社で五所川原まで丸々パッケージで買っているのを確認していたから、あきらかにそいつは泥棒車掌なんだけど、何も知らないお袋は特急料金を支払ってしまった。


子どもながらに、オレは相当抵抗したのだけど、今思い出してもこれは悔しいこと。
その車掌、生きているならお袋の墓前で謝罪して欲しいわ。


【583系 さようなら】


乗り鉄の立場で、あまり車両系統に詳しくないのだが、なかでも583系だけにはこのように大変思い入れがある。
残念だが、これも時代の波。


形あるものいつかはなくなる。
思い出として、583系は俺の中で生き続けてくれよう。
 


 


 

コメント
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