ひとたびはポプラに臥す・・・宮本輝氏

2010年05月08日 | 読書
宮本 輝さんの本も見ると絶対手がでてしまう。「ひとたびはポプラに臥す」と本の題名にしては意味ありげな2002年発行の文庫本全5冊を購入したのは、ブ○クオフだった。もちろん誰も読んだ本ではない。これに定価の5分の1の値札がついていた。あーあまさに活字離れの象徴なのか、本の販売ルートが変わったということなのか。

 夫の帰りが遅い日が続き、枕元のストックがなくなってきた。楽しみに取っておいた「ひとたびはポプラに臥す」を読み始めた。

 1900年前、シルクロードの小国に生まれ、少年のころ抱いた仏教伝播の使命に苦難の生涯をかけた名僧、鳩摩羅什。彼が歩いた道を、いつの日か自分も歩きたい・・・・20年来の夢を賭け、宮本輝氏はシルクロードへと旅だった。

 この本はその道中記である。西安からパキスタンのイスラムバードまで6700キロを車で踏破。

 これが今なら少しは違っていただろうと思うが1995年のことである。その頃西安を訪れた夫は私に「お前が中国に行くのはまだ無理だ」と言った。不潔さゆえにと。

 その西安から敦煌に私が行ったのは3年ほど前。西安にも高層ビルがたっていたし、旅行者が出入りするトイレは夫の経験したものとは違っていた。

 氏が西安から敦厚まで行くのさえ、暑さと食事と不潔さにまいるのである。どんなに熱の通った物を食べてもお腹をこわす。食器を洗う水が原因なのかもしれないと。

 酷暑と砂漠・・・・それは飛行機で移動している旅行では理解できないものらしい。

 砂漠の中のオアシスと言えば、どんなにか心身がいやされそうだが、その不潔さとワイロの横行する人心の荒廃に虚しさと苛立ちがつのっていくのだ。良く死なないでかえれたものだと思う旅を続けるのだった。

 敦煌からガイドと運転手と4人で砂漠の道・・・・それこそどこまでもまっすぐな道を走った。いつの時代の城跡を訪れたのだろうか、今その記憶がない。ただそこだつたというだけのほとんど何も残っていない地で車から下りたが、5分と車外にいられなかった。体験したことの無い暑さであった。1時間も外にいたら、脱水症になるだろう。

 何のために片道何時間も走ったのだろう・・・・と当時おもったものだった。中国の歴史にうとかったから。しかしえんえんと続く砂漠・・・「らくだ草」しか生えていない。

 その経験があったから、「ひとたびはポプニに臥す」が少しだけわかったのかもしれない。

 氏の小説とは違った、まさに生身そのままという書である。

 依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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