masaring

自己チューの進行形日記でshow。

デゴイチ愛情保存。

2008年04月05日 | masaringの内緒話

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【桜の季節が終わったら、訪ねてみようか。根来SL公園を。】

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どういう訳か、国鉄OBのお爺さん、いやおじさんと
話す機会があった。JRじゃなくて国鉄だよ。

「良かったら読んでみてよ」と新聞記事のコピーを
私に渡した。私、小さい頃から鉄道マニア。

その新聞。こう書かれていた。《記者には失礼。少し編集。》

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早春の夕日が黒い車体に反射していた。
岩出市根来の根来SL公園に展示される蒸気機関車

「D51  930」。昭和の時代、白煙を吹きながら全国を
走り抜け「デゴイチ」の愛称で親しまれた。

この930号は、1934年に製造された。東海道線の
米原機関区や北陸線の敦賀機関区などを経て、

65年7月からは紀伊田辺機関区に所属して紀勢線で
活躍した。72年11月限りで現役を引退。

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翌73年からは和歌山県海南市みなと公園に展示され
ファンの人気を集めていた。

だが、公園は98年6月に閉鎖され、近くの工場跡地で
野ざらしにされた。車体には傷みやサビが目立ち、

部品が盗まれることもあった。スクラップも検討された。
それを譲り受け、根来SL公園での展示にこぎつけたのは

「D51  930保存会」だった。

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《中略》

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2002年11月、市(当時は町)が教育的資料として受け入れる
ことになった。だが、海南市みなと公園へ行って保存会の
人達は愕然とした。

「サビだらけであまりにボロボロ。」
「見ていられなかった。」それでもあきらめなかった。

5か月後、車体を3分割して移送してきた。

開園までには、さらに4か月余りもかかった。

壊れていた部品は、JR各社や国鉄OBを通じて探したり
保存会が作ったりして、交換した。

保存会の約20人がサンドペーパーで車体のサビを落とし
黒光りするまで磨き上げた。

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03年9月に開園。それから5年足らずで約18,000人が
公園を訪れた。《開園しているのは週5日。土祝日休園》

「この機関車は和歌山を走っていたんだよ。」
日曜日は保存会の方が出てきて、子どもたちに説明。

子どもたちも一生懸命聞き、運転席でレバーも操作できる。

「もう、お目にかかることもないと思っていたから、、、。
 これからも大切にしていきたい。」

保存会のだれもに、「デゴイチ」への愛情と
「国鉄マン」としての誇りがあふれていた。

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まっちゃんの家の近くを走る、和歌山線。

確か、まっちゃん17歳の時までSLが走ってた。
SL運行最後の日。線路間際で写真撮ったよ。

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そして、岩出市のHPから「保存会」の頁へリンク。
何と新聞のコピーをくれたおじさんが笑顔で登場してる。

人間、熱中人生を過ごしていたら肉体は老いても
精神や明日への希望は決して色あせないと
改めて感じた、まっちゃんでした。

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豆知識:この車輌は外観をできる限り修復し保存、
     これを、静態保存いう。

梅小路や大井川鉄道などで走行している機関車は
動態保存という呼び方をするのだそうだ。

Sakura7

20080403_005_2

【職場近くの桜谷川と土手の桜。名称に合わせ桜を植えた?】

コメント (4)
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