malのあっちこっちブログ

山・旅・料理。。。

気ままに、気張らず、、出来ることを、、、

鬼の霍乱・・・2日目

2010-05-18 08:25:07 | 日々のこと
月曜は一日寝ていた。


喉は痛みが薄らいできたが、代わりに咳が出だした、少しだが・・・



咳には弱い。

過去、風邪を引いて咳が出た経験は殆ど無かったが、一度だけ酷かった時の事を憶えている。

胸の真ん中辺りが痛くなって、咳をする事がどんどん辛くなってくる。

喉の奥も痛くなってくる。

とにかく体力を消耗した記憶がある。



鼻水も納まってきた・・・風邪も終盤に向かっている気がするが、頭が痛くなってきた。

あまり経験の無い中で話すが、風邪の時って、頭がズーーーっとモヤモヤしている。

こめかみ辺りが痛いし、頭頂部辺りがモヤモヤモヤモヤと音が出ている。。。



お腹はすくが、食べると食欲は無い。

でも、温かいものを食べると全身から汗が出る。

熱は出ていないから、身体に潜熱があるのだろう。。。

薬を飲む為にも、食事は摂る。

そして水分を一杯摂る。熱も、菌も、全部出ちゃえ・・・って。。。




よく眠れる。

肺炎のときもそうだったが、ホントに調子の悪いときって、よく眠れる。

眠る事で直しているのだと思う。



昨日はPに頼んで、美味しいアイスクリームを買ってきてもらった。

家にも保存品があったのだが、今のアタシの口には合わなかったので、別のを頼んだ。



時間の経過とともに、少しづつだが快方に向かっている気がする。

お利口ちゃん・・・なんだから、ジッとして早く直そう。。。





ある日の朝食・・・何を作ったのか忘れてしまったけど、この形から察すると失敗作だろう・・・
しかし、タレをつけて食べるオムレツ系って、、、チャイニーズの何かかなあ・・・
コーヒー・ヨーグルト・サラダ・何か、、、多分パンも食べている。




ある日の朝食2・・・コーヒー・キウィ・トマト・ソーセージ・サラダ・パン

鬼の霍乱・・・

2010-05-17 10:11:51 | 日々のこと
土曜日、朝起きた時、喉がメチャメチャ痛かった。



大体、口を開けて寝る方なのでそんなこともあるかな・・・って、大して気にはしなかった。

ただ、先週はPがやはり喉が痛いと言っていたし、良く風邪を引く人なので医者に行かせたら、

「今のところ風邪だと思う・・・」って言う診断だったそうだ。。。



立派な体格の割には医者とは縁の切れない人で、この「今のところ風邪だと思う・・・」先生の所にも

毎月のように通っている。

顔を見ると「今度はどうしたの?」って聞かれる常連さんだ。



っで、土曜は時間の経過とともに段々食欲も無くなって来た。


そもそもアタシは年に1回くらいは風邪を引くような気がする。

気がする・・・って言うのは、風邪で咳が出たり、熱が出たり、食欲がなくなったりって言う症状が

ほとんど無いからだ。

鼻水が多少出易くなったりはするのだが、それも季節の変わり目の花粉なのかどうなのか分らないまま、いつの間にか終わっていたりする。



今回はマイッタ。。。

まず喉が痛い、食欲が無い、食べると胃がもたれる、鼻水は垂れ流し、頭は思考力20%、新聞の日曜版に入っている数独が全然解けない、お〇っこは良く出るけど、隣人は全然出ようとしない

・・・etc etc etc



40代後半、肺炎になったことがある。

ズっと微熱が続いて調子が悪いので、医者に行った。

いきなり「入院です」と言われた。

「いや、それは困ります」

「アンタこの音が聞こえますか?」って聴診器で聞かされた自分の肺の音は今でも覚えている。

「ピチピチ・・プチプチ」泡が爆ぜてつぶれる時の音だった。

肺が炎症を起こし、中で気泡が沢山出来ているのだった。この状態が酷くなると呼吸困難となって

体力が無かったりすると大事に至る。

この時は仕事が忙しく、連絡を取り続ける必要があったのでなんとか家で入院?にしてもらった。

8日目の朝、目覚めた時、頭の中でパチンって音がして、突然腹が減った。直った瞬間だった。



今回はもう若くも無いので、大人しく寝ていることにする。

なんとか、今日明日中に風邪君に帰ってもらわないと困るからだ。





ホットケーキ・・・ちょっと違う形でしょ。。。

炊飯器で炊いたモノだからだ。

フライパンで作るのと、同じ分量で作ったのだが、できた嵩は・・・2倍以上あった。

能とタイフェスティバル

2010-05-16 06:08:57 | 日々のこと
渋谷の松涛にある観世能楽堂に行ってきた。





行った・・・って、ただそこに行ったって訳じゃなくて、鑑賞に行ってきた。




仕舞・・・「玄象」「鶴亀」


Pが教える生徒さんの今年九十一歳になる母親が、習っている能を舞うので、誘われて行って来た。

観世流のある会派に所属してお稽古をしているようなのだが、その会派は今年、創立102年を、

迎えるらしい。

伝統文化と言うものは、一朝一夕にはならず・・・とよく言われるが、これこそ継続は力なり・・・

の見本となるようなものだろう。



挨拶文でも、この方が百周年で舞った「鷺」が紹介され、今年の演目「菊慈童」も紹介されていたので、

中々の方と推察する。

凡そ50分以上も掛かる演じ物だったが、声も通り、疲れも見せず立派な舞台だった。



能に限らず、歌舞伎、日本舞踊、鳴り物から、茶道、華道に至るまで日本の伝統文化は、その所作が美しい。

この日も、演者から準備をする人たちまで、その一人一人の所作の美しさに感動した。





一旦実家に戻り着替えてから代々木で開かれている「タイフェスティバル」に行った。


原宿の駅に着き、改札を出た瞬間・・・後悔した。

人・人・人・・・東京中の人がここに集まっているんじゃないかと思った。

自然と接する時間が長くなればなるほど人込みが苦手になってくる。

横断歩道を渡って代々木体育館側に行っても



人の流れは、途切れない。


数ある代々木のマーケットやフェスの中で、このタイフェスは人気No1なんだそうだ。




とにかく凄かった、歩けない、、その上、殆どの人が食べたり、飲んだり、運んだりしている。

うっかりすると服が汚される。








主催者が用意した食べる場所もあるのだが、そんなスペースは全く役に立たない。

会場の至る所で



お花見状態だ。

ってことは、みんな事前に用意をしてきているわけだ。。。

人気の程が伺える。

会場にあるコンサートホールでも



タイの若者バンドがガンガン音を響かせていた。



会場には全国各地にあるタイ料理店からの出店と、店名が書かれていない屋台と物産店、そして政府の出店とが

あって、時折日本のやきそばの屋台も見かけたが、ほぼタイ一色の状況だった。

あまりの人数と行列に恐れをなして、手に入れたのは



この2品と牛バララーメン。


さっさと食べて歩き出す。

と、一角でタイ美女がワイヤーワークのデモをやっていた。





写真だけ撮って、NHKへの抗議で我鳴り立てるスピーカーの脇を抜けて早々に引き上げた。

家飯(イエメシ)3題

2010-05-15 10:52:39 | 日々のこと
いまアタシは、ほとんど毎日自分で食事を作る。




友人の中で、毎日作っている人が一人だけ居る。香川のおぢちゃんだ。。。

おぢちゃんは今、元気が無い。声は掛けないけど「元気出せ!」ってエールは送っている。



話を戻す。

おぢちゃんは多分、自分の満足のために自分で作っていると思っているんだが、アタシのバヤイ、

仕方なく作っている・・・。?。?。?


このおぢちゃん家の冷蔵庫を見て驚いた事がある。無駄なものが何一つ無い。。。だけでなく・・・

整然と片付き、タッパで纏められ、綺麗に掃除され、無駄な食品は一つも無い。

なんでも、その日食べるものしか買わないらしい。

全く理想的な食品購入計画ではないか。



日々食事の支度をしている数多くの方々がそうだと思っているが、

「今日は子供に何食べさせよう?」とか「何作ったら喜ぶかなぁ?」とか考えつつ、買い物に行き、

結局はその日安いものを手に入れて、メニューを考える・・・そんな生活が多いのではないだろうか。

継続は力也・・・なんて便利な褒め言葉があるけど、、、継続は大変也。。。




カタヤキソバ・・・今回は餡かけが上手く出来た。




「男子厨房に入らず」なんて言葉があるらしいが・・・一体誰が決めたのか???

最近は時代の流れなのか、料理教室で学ぶ中高年の男子が多いそうな・・・。

将来に備えてなのか、意識の変化なのか。。。




アタシの周りにいる友人達は約一名を除いてみんな調理をする。

自分でそこそこ調理が出来ると外食が減る・・・って話で意見があったことがある。

世の奥様達が外食が好きなのは、毎日毎日、旦那と子供のご飯の支度で飽きているので、それをしなくていい。

っで、外食が大好きなのだと思う。




パエリヤ・・・スーパーにパエリヤセットなるモノが売っていたのでそれで作った。
以前、自分の舌だけで作ってみて美味しかったが、水分量が多すぎてご飯が柔らかかったので、今回はレシピで作ってみた。結果は前回よりも↓だった。
水の量は分ったので、次回は再度自分の舌を信じて挑戦する。




アタシもそういう気持ちになるからだ。ご飯の支度をしたくない時は何でもいいから外食で済ませたい。

でも、後悔もする。でも、この後悔がレベルアップの糧になったりもするから面白い。



長い時間生きてくると、食べ物に対する考え方って千差万別なのだと驚く。

っていうか、極論すると、「上手いもの」と「どうでもいい」とに分かれる気がする。

どうでもいい・・・人たちは、恐らく、、「早い」「安い」「多い」の三つの言葉で表す事が出来そうだ。

だからと言って、上手いもの・・・が好きな人たちが「高い」「遅い」「少ない」で良い訳が無い。

ここが食べ物のビジネスでは肝なのだろうし、家庭ではバランスではないだろうか?



オサンドンをするようになって最初は、美味しいものを作ろうと量は無視してきた。

っていうか、一人前の量で調理する事ってメッチャ難しい。

最近はいくらか上手になってきた。上手になってくると、盛り付けに気が廻るようになる。

やはり作ったものは喜んでもらえると嬉しい。





ピッザ・・・オーブンの温度が足りず苦心して2度目のトライだったけど、温度不足はピザでは致命傷だ。残念だけどピザが焼けるオーブンが手に入るまで、このメニューはお蔵入りにすることにした。



この間、友人との話の中で、自分が調理している時、温かく食べてもらいたいものは自分を待たずに食べて欲しい、

って言っていた。

アタシもそう思っている。でも、恐らくこの友人の嫁も、Pも作ってくれているのだから一緒に食べようと

思っているのだろう。

こういう心遣いは、女の人に圧倒的に多いって感じるのはアタシだけ?

なので、最近のアタシの調理の仕方は帰宅予定時間の30分ほど前から、下温めみたいな事をやり出した。

一緒に食べる為に早く調理する為の方法だ。

冷めてもいいもの・・と、熱々で食べたいもの・・を取り混ぜることも方法だ。



料理って・・・奥が深い。

黄色の花

2010-05-14 10:19:37 | 
我が家の花の事は3月19日のブログで紹介した。



そのとき盛りだったビオラやリカちゃん達は今では元気が無い。

冬も過ぎて役目が終わった冬知らずは先日刈り込んだ。

日々を楽しませてくれる花々を、シーズンが終わったとはいえ刈り込むのは辛いものがある。



今年初めて植えたものでヒナゲシがある。

首が長くて、一輪だけポっと咲く、ヒナゲシとかポピーとかは好きな花なのだが・・・

このヒナゲシ、葉っぱばかりが成長して中々花芽をつけてくれなかった。

タネが悪いとそんなときもある事を知っていたし、この葉っぱが弱くて折れやすい。

もう抜いてしまおうかと思っていた頃、花芽を付けた、、そして咲いた。。。



オレンジに近い、濃いクロームイエローからレモンイエローに変わって行く花弁は素晴らしく美しい。

町中に咲いているヒナゲシと比べても、その色の濃さは際立っている。





その水草のような葉が好きで観葉植物でもいい・・・と思っているマーガレットがある。

もう3年目になるだろうか・・・その茎は直径2cm以上の木・・・のように太い。

今年、このマーガレットも中々芽を付けてくれなかったのだが、今が盛りだ。



数十個の花と、数十個の蕾があって毎朝開き、そして夜には寝る。




この冬を越してくれたナスタチウムが元気だ。



この花は、通常冬は越さないらしいが、我が家のは冬の間も咲いてくれていた。

毎朝水をやると葉が茎から立ち上がってくる。葉には産毛が生えているので、その上で水が転がる。



この花の水遣りは楽しい。



去年5つ植えたユリも今年2本芽を出した。

花が咲くかどうかは分らないが、元気に芽を出してくれると、咲いても咲かなくても嬉しい。

桜草も終わりを迎えた。

駄目だと思っていた勿忘草が復活した。

GWの旅から戻った時、真っ先に花たちを見た。暑さで干からびていたシクラメンやビオラ達も、

2日後には立ち上がって元気を取り戻した。

手を掛けるだけ、それに反応してくれる花たちが愛しい。



もう一つ黄色の花が咲いている。

キンセンカだ。

コレだけ黄色の花があるのに、宝くじが当たらないのは何故だろう???

森林公園(谷戸)

2010-05-13 08:58:40 | 日々のこと
アタシの住んでいるところは多摩丘陵の一部である。

この辺りには谷戸と呼ばれる地名が多い。

谷戸とか谷津とか言われる地名なのだが、特に関東・東北地方で使われる呼び方らしい。

参照:http://www.kamiyabe.com/yato-02.htm

丘陵部が侵食されて谷になり、そこに小川が流れるような場所のことである。

このような場所は古代より田畑があって、人が住んでいた。




日曜に、歩いて1時間ほどのところにある森林公園に行って来た。

ここもその谷戸で、弥生時代には既に稲作を行なっていたらしい。

公園として管理されているので、樹木は自然のままであったり、谷戸特有の湿地が残されていたりする。

花は特に沢山はないが、湿生植物は沢山ある。

また、湿地帯にはザリガニもいるらしく親子連れが一生懸命サキイカを木の枝に括り付けて釣っていた。

公園内の動植物は、捕獲・採取をしてはいけない、と注意書きもあるのだが、ザリガニは別なのかな・・・



小さいながらも管理されている竹林では、今年の竹の子がズンズン生長していた。






竹の根元では土鳩が何かを啄ばんでいた。近づいても逃げない。





湿生植物の中に、可憐な花があった。



チョウジソウというらしい。。。




木道の一角に湿地帯の小さな溜まり水の場所があり、その水の向こう側の樹木に向かって沢山の人が

カメラを構えている。

全員が500mm以上の望遠を付け、三脚で固定して狙っている人もいる。

たまたま画像を確認している人がいたので覗いて見た。

カワセミ・・・だった。

カワセミを狙っていたのだった。

「どこにいるのですか?」と尋ねると

「前の藪の中」と言う。見てみるが分らない。





湿地帯を一回りして戻ってくると、カワセミの場所でもっと沢山の人がまた狙っている。

レンズの方向がさっきよりも上を向いていたので、何気に正面の木の葉の間の枝を見ると

いた!

茶色と青みがかったグリーンと白の縁取りのカワセミだった。

自然の色の妙味にしばし見とれた。

慌てて写真を撮る。



目を凝らして良くご覧ください。葉と葉の間の丁度真ん中の枝に綺麗な3色の鳥が見えます。



しばし、全員が息を凝らして眺めていると・・・

突然、、、ダイブ!

水の中へ・・・・・と、

獲物を銜えてまた枝へ・・・



いやぁ~写真やニュースでしか見たことの無かったカワセミの捕獲シーンを数メートルの距離で見てしまった。



いやぁ・・・自然って、本当に、、いいもんですねぇ。。。

パトカー先導・・・東名高速

2010-05-12 06:56:20 | 
5月5日、浜松からの帰り道。

場所は厚木ICを過ぎた辺り・・・

後方からパトカーがサイレンを鳴らしてやってきた。。。



この日の東名は、渋滞は殆ど無し。

東京に近づくにつれて、車の数は増えたものの極端な減速や渋滞は無く順調に走っていた。

あと一息で帰り着くと思っていた頃だった。


当然、各車減速してお行儀良くパトカーの先行を促す・・・と、



突然、アタシ達の車の前で減速して、なにやらマイクで叫んでいる。

「えぇ~?!?」って思いながら窓を開けると、、、

「落下物があるためパトカーより前には行かないでください」と繰り返し叫んでいる。

良く聞き取れなかった隣の車が前に出ようとすると、窓から点滅赤ライトとともに腕がニュッと出て

行く手をさえぎる。



その内、もう一台のパトカーもやってきて、完全に通せんぼ状態になった。





こういう状況の時って、人は何を想像するのだろうか?


良く道路情報で、落下物あり・・・っていうのはある。が、パトカーが出てきてまで交通規制をするって、

これは人か馬か牛か、、、豚の脱走か?あるいは・・・?なんて思いながら走っていたが、

後ろを見ると・・・



当然のように、先導車以下渋滞している。



パトカー先導で、トップで高速道路を走るって、、そうそう経験できる事じゃあない。。。

このシチュエーションを楽しもう・・・って感じで、3車線並列でパトカーについて走った。




しばらく走ると路肩で片づけをしている場所があり、先導車が

「規制を解除します。ご協力ありがとうございました。」

と、アナウンスしてスピードを上げた。



各車一斉にスピードアップ。


結局、何が落ちていたのかは分らなかったが、割と楽しんだ一夜の高速道路だった。

浜松祭り(凧揚げ合戦)

2010-05-11 08:24:22 | 
浜松祭り最終日の5日、凧揚げを見に行った。


昔は静岡大学教育学部の隣にあった、戦時中の連兵場の跡地で行なわれていたのだが、手狭になり

今の中田島砂丘の脇に専用の会場を設けた。


公式パンフレットやTVでは11時から開始とか言われているが、9時過ぎに着いたら、すでに20町くらいが

揚がっていた。





揚げる場所が悪い為に尻尾を掬われ、高度が足りずにそのまま地上に落とされる凧もあったりして、

気温の高まりと、人の熱気の高まりがうなぎのぼりに上がってゆく。





凧の種類は大体4種類、2帖・3帖・4帖・6帖だ。

風の強い日は小さな凧を、弱い日は大きな凧を揚げる。

昔は8帖とか12帖とか言う大凧も揚げたが、実用的ではないので今は揚げていないらしい。

前日の4日は風があったが、生憎この日は風が弱く各町内四苦八苦していた。

凧揚げはスキルを必要とする遊びだ。

風・糸目・尻尾の量・揚げ方・場所取り等経験が無いと中々思うようには揚がってくれない。



風の無いときに揚げる揚げ方に「テギ」と言う道具を使う揚げ方がある。



風が無いとき、揚げる為に走った経験は誰しもあると思う。しかし、大きな凧を揚げる時、走ってばかりでは

いられない。

そこで最初に、ある高さまで揚げる時だけ人が走って揚げ、そこからは固定された場所で滑車を使って、

ある人数の人が回転する様に回りながら走って糸を引き、また、糸を出し、また走る、と言う行為を繰り返す。

この滑車を「テギ」と言う。



立ってやる町



座ってやる町

やり方は色々あるが、かなりの力で引っ張られるので座るほうが良い、って思う。

糸を引っ張る兵隊は



隊列を組み



糸先を見つめる町内の凧揚げ名人の指示で糸を引く。

座っている写真で、棒状のモノを持っている人たちが居る。コレは糸を引く兵隊達がどんどん中へ入ってくるのを

防ぐからだ。

糸先と糸尻の角度は135度から150度くらいが丁度いいように思うが、糸を必死に引く人たちは

そんなものお構い無しに引く。そのため角度がどんどん狭まりテギをしている人たちが危ないので、

このような棒状の道具でテギをしている人たちを保護している。



凧揚げ会場内には、揚がっている凧の数だけ糸がある。

この糸は麻糸で直径6~7mmもある。

止まっている糸は揚がっていない凧の糸で、この日のように風の無い日に揚がっている凧糸は、全て動いている。

糸が止まった時、その上を他町内の凧糸が走ると風をはらんでテンションが掛かっている糸は寸時に切れるからだ。

そのため見物客の多くは会場を取り巻くように見物しているが、それでは面白くない。

上に注意、下に注意しながら自分達の周囲を走っている糸先の凧が今どういう状況にあるかを気にしながらの

見物は、結構忙しい。





ある高さまで揚がると、凧はこうして一人の人の手に委ねられる。もちろんバックアップは欠かせない。







どんな時でも目線は糸先(凧)からは外せない。

そのため、この人たちは突然、前に走ったり後ろに走ったりする。見学者は要注意だ。。。


それでも凧は落ちる。





この日は風が無かった為に、凧は見える範囲に落ちていた。

風が強い日など4km先6km先まで切れた凧が飛んでゆく事はザラにあったので、先回りと称する部隊が

車とトランシーバーを持って、裏側から自町の凧を見張っていた。

聞いた話だが、切れた凧が安定した状態で風に乗って千葉県まで飛んでいった事があるそうだ。





揚がった・・・って思っても



一瞬後には、地上へ・・・

掬われて逆さまに頭から落ちると、骨組みが折れたりして一瞬でゴミになる。

尻尾から落ちてきても、尻尾を取り付ける竹が折れたら使い物にならない。

凧が安定するまで町内の役回りの人たちは会場内を駆けずり回る。





自分達の町内の凧が地上にあるときは、その周りに集まって凧が揚がるのを待っている。



凧が空にあるときは、全員の視線が凧に向けられる。

この時期の浜松は飲食店を除くと、一部の祭りに関係する店舗を除くと全てが休んでいる。

勿論、会社は全て休暇に入っている。でないと、浜松っ子は会社を辞めてしまうからだ。



昔、祭り好きな女の子が、茨城から浜松祭りを観にやってきた。

運悪く着いた時、見たい祭りは終わっていた。

悔しくて、その子はそのままアルバイトをしながら翌年の祭りまで浜松に住んだ。

そして、そのまま住み着いちゃった人をアタシは知っている。

浜松祭りのエピソードは数多い。。。





6帖の凧




中田島砂丘から



こうしてアタシ達のGWは終わった。。。。。

浜松祭り(御殿屋台引き回し)

2010-05-10 13:31:19 | 
浜松には浜松祭りと言う浜松っ子には血湧き肉踊る祭りがある。


その昔4百数十年前、時の城主、飯尾豊前守に世継ぎの男の子が生まれ、それを祝った市民による凧揚げが

その由緒と聞いている。

5月の祭りの人出全国ランキングなるものが毎年新聞等に発表されるが、決まって一番は博多ドンタクである。

しかし、浜松っ子は冷ややかな目でコレを見ている。

浜松祭りは何故か、昼の凧揚げと、夜の御殿屋台引き回しとが別の祭りとしてランキングに掲載されるのだ。

男子誕生を祝って昼は凧を上げ、夜は提灯行列をする。これがどうして別の祭りとなるのか・・・・

あまりメジャーでなかった浜松祭りに一番の名誉を与えたくなかった誰かが仕組んだ小細工である事を

浜松っ子は気にも留めない。

この祭り、昔は1日~5日までの5日間開催されていたが、あまりに過激な祭りなのと、5日間市の機能が

止まってしまう事で、コレは溜まらんと3日間に短縮された。

拡大した市域とともに参加する町も増え、御殿屋台は今年60町を超えたらしい。


竜禅寺町


中島町


東伊場町と天神町


千歳町


鍛冶町



屋台には綺麗にお化粧をしてもらい、粋に半被を着させてもらった小中学生の女の子達がお囃子をしながら

凡そ3時間ほどの道中を行く。

屋台は自走用のエンジンも積んではいるが、祭りの間は町内の女子供と、たすき組みが引いて廻る。

では若い衆はどうしているのか・・・?













こうして組長以下、隊列を組んで練って廻るのである。



3日間になった今、初日は各町内で引き回し。

2日目3日目は市の中央部に集合して、それぞれの町内に引いて帰る。いわば見せ所となる。

各町内ともに、年に一度の晴れ姿を示威行動で示すわけだ。

ここでモノを言うのが各町内の組長以下の統率力となる。


今ほど規制が厳しくなかった頃、酒を帯びた若者同士の集団行動での暴走で喧嘩が絶えなかった。

見物客も巻き込まれての喧嘩が、あっちの街角、こっちの街角であった。

これは祭りの本質に反すると危惧した祭り本部と市当局が規制を強め、今の方法に落ち着いた経緯がある。

賛否両論があるだろうが、見物客は祭りを楽しめるし、女子供も安心して参加できる。


組長を先頭にたすき組みが並び、その後方に旗持ち、ラッパ隊、太鼓、笛と並び兵隊を引っ張る。

町内の勢いと格好良さを見せ付ける。

矛盾に思うかもしれないが、屋台は女子供と長老を含むたすき組みが引き、練りは若い衆にやらせる。

こうして祭りは成り立っている。

また組長には若い衆を練りで疲れさせて暴走を防ぐ使命も課せられている。



こうして9時頃、各町内に戻った屋台は陣屋の前で一練りを行い







子供達は町内からのお駄賃のお菓子袋を貰い(大人も貰っていたけど・・・)、若い衆は酒食の接待を受ける。





そして、コレが終わると夜の最大のお楽しみである今年生まれた初子の家に初練りに行くのである。

この練りに参加できるのは基本的に18歳以上、いわば大人の世界になるのである。

初子を肩車にのせ、その子を中心に兵隊が練って廻る。9割以上の子が泣き叫ぶ。しかし、まれに

キャッキャとはしゃぐ子も居る。

この日出くわした初練りでは、一回目の練りが終わって振舞い酒や、食べ物などが出て休憩中だった。

この日はコレが最後らしく、タップリ休憩してから一斗樽の飲み干しがあった。

次から次へと壇上に上がり、コモ樽から注がれる酒を飲み干す・・・やがて、樽が空になった。



バンザ~イ・・バンザ~イ・・バンザ~イと三唱の後、すぐさま、ラッパ、太鼓、笛が鳴り響き



ワッショ・・オイッショ・・ヤッチョ・・・・・

練りは止まらない。。。



パッパッパッパ、パッパカッパ、パッパカッパッパ、パッパッパ・・・

パッパカパッパ、パッパカッパッパ、パッパカッパッパッパッパッパ~・・・

終わると思えば終わらない。

どこまでも、いつまでも、、練って練って練りぬく。。。

パッパッパッパ、パッパカッパ、パッパカッパッパ、パッパッパ・・・

パッパカパッパ、パッパカッパッパ、パッパカッパッパッパッパッパ~・・・

池の谷キャンプ場~浜松

2010-05-09 09:58:10 | 
当初はキャンプが終わったら、そのまま帰京する予定だったが、キャンプ場でPに浜松祭りの話をしていたら、

その祭りをみたいと言う。

それならそうしよう・・・って言う事になって出発した。



静岡は茶処・・・






ここ川根も川根茶の産地、至る所茶畑だった。

例の道の駅「フィオーレ」でも試飲させてもらったが、ちょっと苦味があって、その後甘みが追いかけてくる、

そんなお茶だった。




ここは榛北地区の本川根。ここから浜松に行くルートは二つ。

362号線で南下して牧の原ICから浜松に入るルートと、春野町、天竜を通って入るルートだ。

東名は混んでいると想定して却下、春野町廻りも山道だし結構な距離もあるので時間も掛かるだろう。

何より浜松では「まるたや」のチーズケーキを食べると決まっている。時間的に見て今日中に

昼の凧揚げを見るのは無理だろう・・・では、泊まっちゃおう、、、ってことになって早速宿を探すと・・・

いとも簡単に空いているところが見つかった。



道の駅「いっぷく処 横川」でそんな作業をやりながら、今日の予定を立てた。

この横川がこの連休に始めて出会った道の駅らしい場所だった。なぜか、ここの名物はマグロの握り・・・

釣られて食べてしまったが、一パック1300円は高かったのか安かったのか・・・



庭の好きなPの希望で井伊谷にある龍譚寺へ。

このお寺は井伊家40代の菩提寺である。

安政の大獄で有名な井伊直弼の井伊家はここ井伊谷の出身である。

北条と今川には幾度と無く攻められ、辛い戦いを強いられた。

あの有名な桶狭間では、何故か今川側で参戦し、時の井伊氏は戦死した。

その後、縁あって徳川家康に仕え、徳川家譜代の大名として300石から三十五万石の大身となった。

その菩提寺に小堀遠州の枯山水がある。







残念ながら本堂が耐震工事中だったため、本堂と庭を隔てる池の上に仮設通路が設けられていた。

そのため、本来は本堂から眺めるように設計されている庭が近づきすぎて妙味を失っていた。



用を済ませて



「まるたや」に向かう。



ここからはそれ程遠くは無い、30~40分ほどで着くだろう。

途中、佐鳴湖の脇を通った。

エイトやレガッタの練習艇が沢山浮かんでいた。



「まるたや」に到着。



頼んだものは、レアーチーズとチャコレートとロールケーキ。

何故か最近、二人で3個が標準的な注文方式になってしまった。4個にならないよう気をつけよう・・・

このロールケーキ、生地にも生クリームにもチーズが入っているヘビー級、ドッシリきた。


っで、



完食。。。



宿に向かう。