キャンプ場の朝はまだ寒い。
この池の谷は焚き火ができる。さっそく火起こしを始める。
杉の落ち葉が沢山あるので火起こしには困らない、が、、置き火になるような大きな木は無い。
苔がびっしりと付いた、およそ薪には程遠い手頃な木を見つけて持ってきた。
こういう材料で焚き火の両側に土手を作っておくと、焚き火が暴れなくて具合がいい。
焚き火を燃やすコツは川の字に薪を置くことだ。決して井桁に置いてはいけない。
井桁に置くのはキャンプファイアーの場合だけだ。
川の字に置くと木と木の隙間を空気が流れ、炎が燃え立つことなく一本づつくわえる事で長い時間
焚き火を楽しむ事が出来る。そして、焚き火料理をする場合、平らな鍋置きスペースを得ることが出来る。
井桁に組むとコレが出来ない。
火起こしが終わって、飯の仕度を始めた。
「無くて七癖」と言うが、人にはそれぞれパターンがあると思ってる。
アタシの場合、献立に我が知性?が反応を示さなくなった時、Pに「何食べたい?」って尋ねる。
それに対して、あちらの知性が無反応な場合、「なんでもいい」って返事がある。
この場合、知性の無と無がぶつかっているので、答えは永遠に見つからない。
今朝は、幸か不幸か回答があった。
「フレンチトースト食べたい!」
面倒くさかったが作った。
車で国内旅行をするとき、肌身離さず持ち歩く食べ物に自家製ヨーグルトがある。
今回はプラス自家製ジャムまで持ち出した。
ヨーグルトのりんごのソテーのせと、フレンチトースト、コーヒーの朝食を済ませて、Pが始めて知った、
と言う寸又峡に向かった。
何度も言うが、寸又峡などと言う名前は一度も聞いたことが無かったらしい。
新緑と杉とのコントラストが美しい山々を眺めながら、狭い道路を10kmほどで寸又峡に到着する。
なんでもこの道は明暦の大火で焼け落ちた江戸は上野の寛永寺を再建するために使われた木材を運ぶ為に
作られた道らしい。
寸又峡の吊橋が見えてきた。
Pがしり込みしている。
GWは混雑する為、一方通行になっている。そのため吊橋は一回しか通れない。やっとなだめて歩き出す。
渡る時、手ぬぐいを出してPと繋いだ、と係りのおぢさんが「どっちが怖いの?」って聞いてきた。
ってことは結構怖がりの男共が多いってことになる。
吊橋を渡り、307段の階段を登り、一方通行路を歩いてゆくと
こんな木があった。
名前は知らないが、この時期に良く似合う花だと思った。
すぐに帰りに使う固定橋が見えてきた。
振り返ると南ア深南部前衛の山々が新緑に飾り立てられていた。
橋の上から渓谷を見下ろすと、丁度真後ろからあたる太陽が二人の影を川面に映していた。
山々と寸又峡が絶好のビューポイントとなっている橋だ。
橋を渡ると、こんな掲示板があった。
元々ここには「何故寸又峡の水が青いか・・?」と言うようなことが書かれたものがあったらしいが、
どうやら大風で飛ばされてしまったらしい。
とても正直な管理者と見える。
帰りにキャンプ場から2km程の所にある白田温泉もりのゆ?に寄った。
4時少し前だったが、その女湯の混雑振りは凄かったらしい。
ロッカーも順番待ち、洗い場も順番待ちだったらしい。
ロッカー以外に籠はなく、要するに入れない状態である。書き入れ時とは言え、これはやり過ぎ・・・
って感じたPだった。
この池の谷は焚き火ができる。さっそく火起こしを始める。
杉の落ち葉が沢山あるので火起こしには困らない、が、、置き火になるような大きな木は無い。
苔がびっしりと付いた、およそ薪には程遠い手頃な木を見つけて持ってきた。
こういう材料で焚き火の両側に土手を作っておくと、焚き火が暴れなくて具合がいい。
焚き火を燃やすコツは川の字に薪を置くことだ。決して井桁に置いてはいけない。
井桁に置くのはキャンプファイアーの場合だけだ。
川の字に置くと木と木の隙間を空気が流れ、炎が燃え立つことなく一本づつくわえる事で長い時間
焚き火を楽しむ事が出来る。そして、焚き火料理をする場合、平らな鍋置きスペースを得ることが出来る。
井桁に組むとコレが出来ない。
火起こしが終わって、飯の仕度を始めた。
「無くて七癖」と言うが、人にはそれぞれパターンがあると思ってる。
アタシの場合、献立に我が知性?が反応を示さなくなった時、Pに「何食べたい?」って尋ねる。
それに対して、あちらの知性が無反応な場合、「なんでもいい」って返事がある。
この場合、知性の無と無がぶつかっているので、答えは永遠に見つからない。
今朝は、幸か不幸か回答があった。
「フレンチトースト食べたい!」
面倒くさかったが作った。
車で国内旅行をするとき、肌身離さず持ち歩く食べ物に自家製ヨーグルトがある。
今回はプラス自家製ジャムまで持ち出した。
ヨーグルトのりんごのソテーのせと、フレンチトースト、コーヒーの朝食を済ませて、Pが始めて知った、
と言う寸又峡に向かった。
何度も言うが、寸又峡などと言う名前は一度も聞いたことが無かったらしい。
新緑と杉とのコントラストが美しい山々を眺めながら、狭い道路を10kmほどで寸又峡に到着する。
なんでもこの道は明暦の大火で焼け落ちた江戸は上野の寛永寺を再建するために使われた木材を運ぶ為に
作られた道らしい。
寸又峡の吊橋が見えてきた。
Pがしり込みしている。
GWは混雑する為、一方通行になっている。そのため吊橋は一回しか通れない。やっとなだめて歩き出す。
渡る時、手ぬぐいを出してPと繋いだ、と係りのおぢさんが「どっちが怖いの?」って聞いてきた。
ってことは結構怖がりの男共が多いってことになる。
吊橋を渡り、307段の階段を登り、一方通行路を歩いてゆくと
こんな木があった。
名前は知らないが、この時期に良く似合う花だと思った。
すぐに帰りに使う固定橋が見えてきた。
振り返ると南ア深南部前衛の山々が新緑に飾り立てられていた。
橋の上から渓谷を見下ろすと、丁度真後ろからあたる太陽が二人の影を川面に映していた。
山々と寸又峡が絶好のビューポイントとなっている橋だ。
橋を渡ると、こんな掲示板があった。
元々ここには「何故寸又峡の水が青いか・・?」と言うようなことが書かれたものがあったらしいが、
どうやら大風で飛ばされてしまったらしい。
とても正直な管理者と見える。
帰りにキャンプ場から2km程の所にある白田温泉もりのゆ?に寄った。
4時少し前だったが、その女湯の混雑振りは凄かったらしい。
ロッカーも順番待ち、洗い場も順番待ちだったらしい。
ロッカー以外に籠はなく、要するに入れない状態である。書き入れ時とは言え、これはやり過ぎ・・・
って感じたPだった。